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精
せい |
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作品ID | 49928 |
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原題 | CATHAL OF THE WOOD |
著者 | マクラウド フィオナ Ⓦ |
翻訳者 | 松村 みね子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「かなしき女王 ケルト幻想作品集」 ちくま文庫、筑摩書房 2005(平成17)年11月10日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 匿名 |
公開 / 更新 | 2012-08-06 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 47 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「マリヤの僕カアル」と呼ばれていたアルトの子カアルは、青い五月のある夜、心にかなしみを持って海のほとりを歩いていた。
それは彼がイオナの島を離れてからまだ間もない時であった。聖コラムはこの青年をアラン島に送るにつけて聖モリイシャに手紙を書いて頼んでやった。聖モリイシャはアランの南端の東むきのくぼみにある小さなピイク島の岸の岩窟に住んでいる聖者であった。カアルの為には西のうつくしい島を離れることは悲しかった。はるかに遠い北の島国で父がロックリンの人の手に殺され、母が狂暴な金髪の男たちの漕いで来た櫓船に奪い去られてから後は、この島に来て彼は楽しい月日も知ったのであった。彼のただ一人のみよりは父の兄弟にあたる老僧のみであった。
イオナの島で彼はキリストの道を教えられ、白衣を着る身となった、そして、削がれた樹の枝や海豹の毛のほそい束や野鴨や鵞鳥の羽じくを以て仔羊の皮や巻物に聖い御言葉をかくことも出来、御言葉のなかに散らばる大きい文字をば、土の褐色にも空の青色にも輝く緑色にも、血しおの紅色にも、陽のあたたかい海の砂の金色にもいろどることが出来た。彼はまたながい聖歌をうたうことが出来た。コラムはそれをきくことを好んでいた、イオナの島でいちばん美しくひびく声はカアルの声であった。ちょうど彼が十九のとし、フランクのある王子が聖者コラムの祝福をうけにイオナに来た時、王子は彼を南の国につれ帰ろうとした。彼のその声のために王子はいろいろの約束をしたのであった。その時以来、ねむたい暑い午後など、いつもカアルが夢に見るのは、たやすく人を殺し得るながいしろい剣、うつくしい服を買うことのできる白くひかる貨幣、金の飾りで身をかざった大きな黒い馬、鳥の羽毛の寝床、そして白い手と白い胸と、青春の日の歌とであった。
カアルはフランクの王子と一緒には行かなかった。しかし、その後、彼はたびたび夢を見るようになった。
そういう夢の日の或る日彼は僧房にちかい砂丘の暑い草の上に背をのせて横たわっていた。陽の照りで島は金いろの靄に浴していた。海峡は眼もまぶしくきらきらして、やわらかい白砂に曲線をなした青い小波は金の火花を散らすかと見れば、又すぐに水泡の小さい珠にくだけたり虹のしぶきの泡と変ったりした。カアルは自分の歓びを歌に作った。その歌を作ってしまうと、心のなやみがすこし慰められた。いま、彼は横になって、フランクの王子の言った言葉を思い出したり、または異教徒のとし老いた奴隷ニイスの不思議な言葉を思い出しながら、歌をうたった。
あわれ、北のいずこに、南のいずこに、ひがし西のいずこに
しろき花の手と白鳥の胸毛のむね持てる彼女はすむや
もし彼女西にあらば、もし彼女ひがしにあらば、あるいは北か南にあらば
剣は跳び、馬は躍るべし、われその甘き口の人に到るために
彼女は山の上の牝鹿のごとき大なる目を…