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白河の七日
しらかわのなのか
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桂月全集 第二卷 紀行一」 興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日
入力者H.YAM
校正者雪森
公開 / 更新2019-03-06 / 2019-02-22
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

一 南湖公園

甲子温泉に滯在する中、一日白河へとて、田中桃葉と共に山を下りけるに、白河の青年藤田虎太、長谷部英一、同英吉の三氏後より追付き來りて、共にす。芝原を經て奧州街道に出でし頃、日暮れたり。雨大いに至り、電閃き、雷鳴る。白河の市街に入り、右折して南湖に向ふ。咫尺を辨ぜざる闇の夜にて、雷雨益[#挿絵]盛ん也。
いかづちの鳴る度ごとに路見えて
  我を導く闇の稻妻
 湖畔の偕樂園に籠居して筆を執るほどに、二日目の朝、川崎旭溪二瓢を手にして來り、『共樂亭に至りたるか』と問ふ、『未だし』と云へば、『さらば案内せむ』とて、共に行く。老松路に横はり、幽趣人に逼る。幾艘の小端艇岸邊に横はり、鳰點々蕁菜の間に浮沈す。二三の物賣る家盡きて、右に廣き空地を見る。旭溪曰く、『運動場なり』。北方の山腰を指して曰く、『樂翁公の祠の豫定地なり』。余はこゝに始めて、白河人士が發起して、南湖に樂翁公の祠を建つるの擧あるを知りぬ。義公、烈公が水戸にて通ずる如く、樂翁公は白河にて通ず。樂翁公は江戸時代の賢相なるが、一方には能く白河を治めたり。南湖の如きも、もとは沮洳の地にて、何の役にも立たず。何等の風致も無かりしが、樂翁公之を修理して、一方に五十町歩の南湖を得、一方に百町歩の田を得たり。更に龍田の紅葉、嵐山の櫻を移植し、松を植ゑ、共樂亭を築きて、其の名の如く、士民と共に樂めり。大名專有の園地は、古來到る處にあり。大名の公園を設くることは、實に樂翁公に創まれる也。
君民同樂共融々。水理修來奪二化工一。遺澤千秋流不レ盡。萬人齊仰樂翁公。
 湖を左にし、喬松に蔽はれたる山を右にし、やがて湖を後ろにし、松山をめぐりて、行けば、櫻の竝木の盡くる處、巨石立ち、南湖公園と題す。旭溪曰く、『この四字は樂翁公の遺墨中より集めたるものなり』。曰く、『こゝが南湖公園の入口なり。南湖を看むには、先づこゝより始めざるべからず』。引返して、湖に接する處に至りて、山麓より迸り出づる清水を掬し、山を少し上れば、一亭あり。二た間になり居れるが、閾を設けず。當年の遺制に據りて、明治三十五年再建する所に係る。傍らに南湖十七勝の碑あり。亭に上りて、共に瓢酒を傾け、且つ飮み、且つ眺む。南湖一泓の明鏡を開き、四面の山や樹や倒影を※[#「酉+蕉」、U+2B47F、726-2]す。旭溪曰く、『十七勝は樂翁公の命名する所にして、和漢兩樣の名あり。當時公卿大名巨儒より詩歌を求め、樂翁公も自から歌二首を詠めり。この湖、白河城の南半里の外にあるを以て南湖と稱す。これ漢樣也。關山見ゆるを以て、關の湖とも稱す。これ和樣なり』。『關山は孰れの山ぞ』と問へば、東南の方を指して、『今は雲に隱れて見えず』。なほ語をつゞけて、『この亭が共樂亭(漢名同)、さきの清水が常磐清水(玉花泉)、こゝの平地が錦の岡(濯錦岡)、こゝの松山が鏡の山(明鏡山)、亭の下の右…

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