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上州沼田より日光へ
じょうしゅうぬまたよりにっこうへ
作品ID50038
著者大町 桂月
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桂月全集 第二卷 紀行一」 興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日
入力者H.YAM
校正者雪森
公開 / 更新2019-09-11 / 2019-08-30
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 山間のがたくり馬車

秋の雨しめやかに降る日、夜光命飄然來りて裸男を訪ひ、『久しく旅行せざりき。今や紅葉正に好し。何處かへ出掛けずや』といふ。『我れとても近來髀肉の歎に堪へざるが、例の軍用金なきを如何んせむ』と云へば、『其儀は心配に及ばず』といふ。『さらば、善は急げ。今日雨を衝いて程に上らむ』と云へば、『何處へ行く』と問ふ。『何處でも好けれど、利根川を溯りて沼田に至り、會津街道を取り、白根温泉を經て金精峠を越え、湯本温泉に浴し、中禪寺湖を繞りて日光に達し、それより汽車にて歸途に就くやうにしては如何にぞや。日光に遊ぶ者は、大抵中禪寺湖より引返す、湯本まで行くものは稀れ也。金精峠を越ゆるは、異數也。今、裏口より金精峠を越えゆくは、また快ならずや』と云へば、『好からむ』といふ。『十口坊は誘ふか、誘ふまいか、どうしたものにや』と云ふ折しも、噂をすれば影とやら、旅運強き十口坊、偶然來り會す。固より厭な筈なし。午後三時を期して上野驛を發す。
 高崎驛にて電車に乘換へて、澁川町に著きしは、夜の八時半也。饑ゑては食を擇ばず、夜更けては宿屋を擇ばずと悟り顏して、車掌の勸むるまゝに、一旅店に投じたるが、女中までも浴したる後の風呂、白く濁りて、ぬるく、而も垢臭く、通されたる前二階の六疊の部屋、三人には、ちと窮屈也。酌する女中の蒼くて血の氣なきに、酒もうまからず。よい加減に切上げて寢に就く。
 明くれば、雨なほ止まず。沼田行の鐵道馬車の一番發に乘らむとて、停車場に駈けつくれば、馬車は早や十分前に發したり。やれ/\次の發車までは、一時間も待たざるべからず。十口坊駄句りて曰く、
次の馬車待つ山驛の秋しめり
 裸男は傘をさゝぬつもりにて、ゴム引きのマントを被りたるが、古びたる事とて、雨漏る。馬車を待つ餘裕あるにつれて、傘を買ふか、買ふまいかと思案し、遂に買ふと決心して、番傘を買ひたるが、果敢なや、人間の智慧の一寸先は闇、馬車未だ沼田に著かざる前に、天氣は快晴となりたり。失策つたりと天を仰げば、太陽人を笑ふに似たり。
 右に赤城山、左に榛名山、自然の關門を成して、利根の本流中を貫くといふ天下無比の壯觀も、馬車の中にては十分に賞玩するに由なし。利根の支流なる吾妻川を渡るに、大いに濁れり。右に利根の本流を見る。吾妻川よりは少し澄めり。その利根の本流に會する片品川を見れば、全く澄み切れり。裸男曰く、『われら三人を川に比すれば、十口坊は吾妻川、夜光命は利根の本流、僕は片品川に非ずや』と。夜光命苦笑し、十口坊むツとす。裸男言を改めて曰く、ともかくも我等三人を世上一般の人に比すれば、世上一般の人は吾妻川若しくは利根の本流にして、われらは片品川に非ずや』と。十口坊も、夜光命も始めて破顏す。
 鐵道馬車は、沼田の入口にて終點となれり。會津街道を取りて、がたくり馬車に乘る。われら三人の外には、乘客なし。…

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