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乾あんず
ほしあんず
作品ID50145
著者片山 広子
文字遣い新字旧仮名
底本 「燈火節」 月曜社
2004(平成16)年11月30日
初出「美しい暮しの手帖 一号」暮しの手帖社、1948(昭和23)年9月
入力者竹内美佐子
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-11-12 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十坪に足りない芝庭である。ひさしく手を入れないので一めんに雑草が交つて野芝となつてしまつた。しかし野も林も路もすべての物が青む季節になれば、野芝の庭もめざましく青い。庭のまん中よりやや西に寄つて一本のいてふの樹が立つてゐる。心をきり落したので、いてふはずんぐりとふとつて無数の枝を四方にさし伸べて、むかしの武蔵野の草はらに一ぽんのいてふが立つて風に吹かれてゐたであらう風景を時をり私の心にうつしてくれる。去年の初夏この野芝の庭に一つの異変がみえた。庭のごく端の方に一株の小さな小さな青い花が咲き出したのである。何か見なれた花のやうで熟視すると、ああ、これは忘れなぐさであつた。優しく青く細かく、たよたよと無数の花が夏ふかむまで咲いてゐた。雨にも日でりにもそれをいたはつて眺めたが、今年も五月がくると去年の花の見えたあたり、一面に幾株もいく本も同じ花が咲いて、芝の上の一部は朝日ゆふ日にうす青く煙つて見えた。
 けふも梅雨めいた雨で、いてふは荒く白いしづくを落し、芝は沼地の草みたいに濡れてゐる。わすれな草はもうすつかり終るのだらう。ガラス戸越しに庭を見ながら私はお茶をいれた。お茶の香りが部屋にあふれて、飲む愉しみよりももつとたのしい。静かに鼻にくる香りはのどに触れる感じよりももつと新鮮に感じられる。乾杏子を二つ三つたべて、これはアメリカの何処に実つた杏子かと思つてみる。
 乾杏子からほし葡萄を考へる。ほし棗を考へる。乾無花果も考へる、どれもみんな甘く甘く、そして東洋風な味がする。過去の日には明治屋か亀屋かで買つて来て、菓子とは違ふ風雅なしづかな甘みを愉しく思つたものである。ゆくりなく今度の配給で、すこしも配給らしくない好物を味はふことが出来た。私はことに乾いちじくが好きだつた。むかし読んだ聖書の中にも乾いちじくや乾棗が時に出てくる。熱い国の産物で、東方の博士たちが星に導かれて、ユダヤのベツレヘムの村にキリストの誕生を祝ひに来たときのみやげ物の中にもあつたやうに思はれる。ソロモン王の言葉にも「請ふ、なんぢら乾葡萄をもてわが力をおぎなへ、林檎をもてわれに力をつけよ、われは愛によりて疾みわづらふ」と言つてゐる、雅歌の作者はこんな甘いものや酸つぱい物を食べながら人を恋ひしてゐたらしい。
「もろもろの薫物をもて身をかをらせ、煙の柱のごとくして荒野より来たるものは誰ぞや」ソロモンがシバの女王と相見た日のことも考へられる。世界はじまつて以来、この二人ほどに賢い、富貴な、豪しやな男女はゐなかつた。その二人が恋におちては平凡人と同じやうになやみ、そして賢い彼等であるゆえに、ただ瞬間の夢のやうに恋を断ちきつて別れたのである。
「シバの女王ソロモンの風聞をきき、難問をもつてソロモンを試みんと甚だ多くの部従[#ルビの「ともまはり」は底本では「ごもまはり」]をしたがへ香物とおびただしき金と宝石と…

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