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L氏殺人事件
エルしさつじんじけん
作品ID50160
著者片山 広子
文字遣い新字旧仮名
底本 「燈火節」 月曜社
2004(平成16)年11月30日
入力者竹内美佐子
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-11-12 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今から何十年も前のことである。L氏殺人事件といふ騒ぎが麻布の或る女学校に起つて世間をおどろかした。私はまだ十三か十四の少女でその女学校の寄宿生であつた。ちやうどイースタアのお休み中で、寄宿生徒で東京に家のあるものはみんな帰つてゐて、学校は大へん静かな時だつた。
 その学校は丘の下の平地に建つてゐて、門を入ると右手に生徒の出入口があり、教室がいくつも続いて、二階三階が寄宿生の部屋になつてゐた。門から正面に植込を隔てて学校の玄関があり、西洋応接間、事務室、父兄の応接間、新聞室、先生方のひかへ室などあり、こちらの二階も生徒の部屋になつてゐて、ひろい廊下の突きあたりの扉をあけると、外国人教師の部屋が二つ三つ続いて、みんな南に向いて窓をもつてゐた。その一ばん端の、東南に向いた角に校長L夫人の部屋があつて、L氏もその部屋に夫人と一しよに暮してゐた。その部屋の扉のそとでL氏が殺された。
 L夫人は前にはミスSと言つてもう長くこの女学校の校長をつとめてゐた。L氏は丘の上のT学校の教授で夫人よりはずつとあとから日本に来た人だが、縁あつて二人は結婚し、二つぐらゐの女の子も出来てゐた。
 先生たちの部屋の前の廊下に、東に向いた階段があつて玄関に通じ、西に向いた裏の階段がキツチンや小使部屋に通じた。
 小使部屋のそばの出入口の戸をあけて、(たぶん鍵がかかつてゐなかつたらしい)泥棒はすぐ裏の階段を上がつて二階の廊下に出ると、大きな吊りランプが一つ廊下を照らしてゐた。彼は別に案内をしらべて置いたのではないから、まづ一ばん端のいちばん大きさうな部屋の扉を叩いた。女ばかりの学校ときいてゐたので、おどかして何か奪らうと思つたらしく、抜身の刀を持つてゐた。扉があいて中から出て来たのは女ではなく、背の高い大きな西洋人の男だつた。「何ですか?」と言つて彼は抜身の刀をみると、ひと目で強盗であることがわかつたから、妻や子供を守るために一息に押へつけるつもりでその手をつかまうとした。泥棒は小男ではなかつたが、この大きな若い男につかまへられる前に、めちやくちやに刀を振り廻した。ひどい物音で夫人が戸口に出て来ると、泥棒がいま倒れてゐる夫の上に刀をふり上げたところだから、彼女は「おお」と言つて手をのばしてその刀を受け止めようとした。その拍子に夫人の右手の指が二本人差指と中指とがぱらりと切り落されて夫人は失神して倒れてしまつた。泥棒は思ひのほかの自分の仕事に途方にくれて、血刀を下げて突立つてゐるとき、隣りの部屋に大きな叫び声や泣きごゑが聞えて、窓を開けて、一人ならず二人位の声で「どろぼう、どろぼう」と騒ぎ始めたから彼ははじめて正気に返つて、あわてて階段を駈け下り、逃げてしまつた。
 隣りの部屋に二人の若い女教師がゐた。NH女史とEH女史だつた。人ごゑや格闘の音で目さめた一人が扉をあけてこの惨げきを一目みるや、…

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