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「はつ恋」解説
「はつこい」かいせつ |
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作品ID | 50191 |
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著者 | 神西 清 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「はつ恋」 新潮文庫、新潮社 1952(昭和27)年12月25日、1987(昭和62)年1月30日73刷改版 |
入力者 | 蒋龍 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2010-02-11 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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静かな深い憂愁が、ロシア十九世紀文学の特質を成していることは、今さら言うまでもなく周知の事実です。しかしその憂愁のあらわれは、それぞれの作家において、本質的にも色合いの上からも、微妙な差異を示しています。デンマークの文芸批評家ゲオルグ・ブランデスは、その点に触れて、次のような簡明ではあるが味わいの深い評語を、のこしています。――「ツルゲーネフの悲哀は、その柔らかみと悲劇性のすがたにおいて、本質的にスラヴ民族の憂愁であり、スラヴ民謡のあの憂愁に、じかにつながっている。……ゴーゴリの憂愁は、絶望に根ざしている。ドストエーフスキイが同じ感情を表白するのは、虐げられた人々、とりわけ大いなる罪びとに対する同情の念が、彼の胸にみなぎる時である。トルストイの憂愁は、宗教的な宿命観にもとづいている。そのなかにあって、ツルゲーネフのみが哲人である。……彼は人間を愛する。よしんばそれが、あまり感服できぬ人間で、たいして信用のおけぬ場合でも、やはり彼は人間を愛するのだ」
つまり、ツルゲーネフの憂愁は、「哲人的な」憂愁であったということで、そこから、彼の一見ひややかにさえ見える詩的なリアリズムも、滅び交替しゆく者にたいする抒情的な愛も、おのずから説明がつくわけです。そういう点から言うと、ツルゲーネフに最も近いロシア作家は、十九世紀末に現われたチェーホフであると言えるのですが、この比較は一応それとして、彼らの憂愁が一体どこに根ざし、どういうところから特異な形成を遂げたかが、ここでは問題になるでしょう。
チェーホフの場合は、一口に言って、その深い信条であった生物進化論に、説明の第一根拠が見いだせるように私は思うのですが、ツルゲーネフの場合はどうでしょう。彼はもちろん医者でもなく、自然科学者でもなかったが、その思想的な立場から言えば、青年時代から晩年に至るまで、終始かわらぬ西ヨーロッパ的知性の確固たる信奉者――いわゆる西欧派であったのです。彼はこの西欧派的な開かれた眼をもって、ロシアの現実の蒙昧と暗愚と暴圧とを、残る隈なく見きわめ見通し、そこに絶望と期待とが微妙に混り合った彼独特の詩的リアリズムの世界が展開されたのでした。
こういうふうに眺めてくると、ツルゲーネフの憂愁なるものの性質も、またその憂愁にもかかわらず彼が終生変らぬ毅然たる進歩的信念の持主であった所以も、ほぼうなずかれるはずですが、なおその上にもう一つ、彼の詩的人生観に一層の深まりや柔軟な屈折を与えたものとして、彼の生れや育ちの事情も忘れてはなりますまい。イヴァン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフ(I. S. Turgenev)は、一八一八年の秋、モスクワ南方の母方の領地で生れました。つまりロシア社会史の推移の上から見ると、あたかも地主貴族文化がようやく崩壊し始めた時期に、彼は最も大切な精神の形成期を、ほかならぬ貴族の子弟…