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おせい
おせい
作品ID50192
著者葛西 善蔵
文字遣い旧字旧仮名
底本 「子をつれて 他八篇」 岩波文庫、岩波書房
1952(昭和27)年10月5日
入力者蒋龍
校正者林幸雄
公開 / 更新2009-11-18 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「近所では、お腹の始末でもしに行つたんだ位に思つてゐるんでせう。さつきも柏屋のお内儀さんに會つたら、おせいちやんは東京へ行つてたいへん綺麗になつて歸つたと、ヘンなやうな顏して視てましたよ」と、ある晩もお酌をしながら、おせいは私に云つた。
 父の四十九日の供養に東京に出て行つて、私もそのまゝ弟の家の二階で病氣の床に就いてしまつた。肺尖の熱が續き、それから喘息季節にかゝつて、三ヶ月餘り寢通してしまつた。その間ずつと、いつしよに出て行つたおせいの看病を受けてゐた。四十九日が百ヶ日を過ぎても、私は寺へ歸つて來られなかつた。「Kがお供をつれて歩いてる……」東京の友人たちの間にも斯う噂されたりした。
「近所ではそんな風に思つてゐるのかなあ。何しろこの邊と來てはそんなことの流行るところだからな。……それではどうかね、ひとつ僕等もこさへて見ようか知ら。おせいちやんさへ構はないんだと、僕はちつとも構はないね。僕に落胤があるなんて、男の面目としてもわるい話ぢやないな」と、私も冗談らしく云つたが、しみ/″\と顏を視てゐると、やはり氣の毒な氣がして來る。
 山の上の部屋借りの寺へ高い石段を登り降りして三度々々ご飯を運び、晩は晩で十二時近くまで私の永い退屈な晩酌のお酌をさせられる――雨、風、雪――それは並大抵の辛抱ではなかつた。それが丁度まる三年續いた。まる三年前の十二月、彼女の二十歳の年だつたが、それがあと半月で二十四の春を迎へるのだつた。その三年の間、彼女は私の貧乏、病氣、癇癪、怒罵――あらゆるさうしたものを浴びせかけられて來た。私はエゴイストだ。また物質的にも精神的にも少しの餘裕もない生活だつた。私は慘めな自分の力いつぱい仕事に向けるやうにして、喘ぐやうな一日一日を送つて來たのだつた。「少し長いものが一つ出來るまで世話して置いて呉れ。それさへ出來たらお前のとこの借金も返してやるし、おせいちやんにも何でもお禮をする。僕は仕事さへ出來ればいゝんだから、仕事が出來て金さへはひるやうになつたら、お前とこのお父さんにも資本だつて何だつて貸してやるよ」私は斯う子供にでも云ふやうなことを云つたりしては、叱つたり宥めたりして、自分の氣紛れな氣分通りを振舞つて來たのだつた。おせいの家への借金もかなりの額になつてゐたが、三年經つたが、長篇どころか、この夏貧弱な全收穫の短篇集一册出せたきりで、その金もおせいの家の借金へは[#挿絵]らず、自分の父の死んだ後始末などに使つてしまつた。私はチエホフの「犧牲」と云ふ短篇が思ひ出されたりした。醫學生の研究臺となり、性慾機關となり、やがてその醫學生は學校を卒業して女と別れて行く、女はまた別の醫學生に見出されて同棲して同じ生活を繰返さゝれる――おせいと自分の場合とは違ふとしても、二十だつた娘がもうぢき二十四になる――この三年間のことを考へたゞけでも自分は氣の毒にな…

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