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![]() げんじものがたり |
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作品ID | 5022 |
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副題 | 07 紅葉賀 07 もみじのが |
著者 | 紫式部 Ⓦ |
翻訳者 | 与謝野 晶子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「全訳源氏物語 上巻」 角川文庫、角川書店 1971(昭和46)年8月10日改版 |
入力者 | 上田英代 |
校正者 | kompass |
公開 / 更新 | 2003-07-22 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 33 ページ(500字/頁で計算) |
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青海の波しづかなるさまを舞ふ若き心
は下に鳴れども (晶子)
朱雀院の行幸は十月の十幾日ということになっていた。その日の歌舞の演奏はことに選りすぐって行なわれるという評判であったから、後宮の人々はそれが御所でなくて陪観のできないことを残念がっていた。帝も藤壺の女御にお見せになることのできないことを遺憾に思召して、当日と同じことを試楽として御前でやらせて御覧になった。
源氏の中将は青海波を舞ったのである。二人舞の相手は左大臣家の頭中将だった。人よりはすぐれた風采のこの公子も、源氏のそばで見ては桜に隣った深山の木というより言い方がない。夕方前のさっと明るくなった日光のもとで青海波は舞われたのである。地をする音楽もことに冴えて聞こえた。同じ舞ながらも面づかい、足の踏み方などのみごとさに、ほかでも舞う青海波とは全然別な感じであった。舞い手が歌うところなどは、極楽の迦陵頻伽の声と聞かれた。源氏の舞の巧妙さに帝は御落涙あそばされた。陪席した高官たちも親王方も同様である。歌が終わって袖が下へおろされると、待ち受けたようににぎわしく起こる楽音に舞い手の頬が染まって常よりもまた光る君と見えた。東宮の母君の女御は舞い手の美しさを認識しながらも心が平らかでなかったのである。
「神様があの美貌に見入ってどうかなさらないかと思われるね、気味の悪い」
こんなことを言うのを、若い女房などは情けなく思って聞いた。
藤壺の宮は自分にやましい心がなかったらまして美しく見える舞であろうと見ながらも夢のような気があそばされた。その夜の宿直の女御はこの宮であった。
「今日の試楽は青海波が王だったね。どう思いましたか」
宮はお返辞がしにくくて、
「特別に結構でございました」
とだけ。
「もう一人のほうも悪くないようだった。曲の意味の表現とか、手づかいとかに貴公子の舞はよいところがある。専門家の名人は上手であっても、無邪気な艶な趣をよう見せないよ。こんなに試楽の日に皆見てしまっては朱雀院の紅葉の日の興味がよほど薄くなると思ったが、あなたに見せたかったからね」
など仰せになった。
翌朝源氏は藤壺の宮へ手紙を送った。
どう御覧くださいましたか。苦しい思いに心を乱しながらでした。
物思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うち振りし心知りきや
失礼をお許しください。
とあった。目にくらむほど美しかった昨日の舞を無視することがおできにならなかったのか、宮はお書きになった。
から人の袖ふることは遠けれど起ち居につけて哀れとは見き
一観衆として。
たまさかに得た短い返事も、受けた源氏にとっては非常な幸福であった。支那における青海波の曲の起源なども知って作られた歌であることから、もう十分に后らしい見識を備えていられると源氏は微笑して、手紙を仏の経巻のように拡げて見入っていた。
行幸の…