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源氏物語
げんじものがたり
作品ID5023
副題08 花宴
08 はなのえん
著者紫式部
翻訳者与謝野 晶子
文字遣い新字新仮名
底本 「全訳源氏物語 上巻」 角川文庫、角川書店
1971(昭和46)年8月10日改版
入力者上田英代
校正者小林繁雄
公開 / 更新2003-07-22 / 2014-09-17
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

春の夜のもやにそひたる月ならん手枕
かしぬ我が仮ぶしに    (晶子)

 二月の二十幾日に紫宸殿の桜の宴があった。玉座の左右に中宮と皇太子の御見物の室が設けられた。弘徽殿の女御は藤壺の宮が中宮になっておいでになることで、何かのおりごとに不快を感じるのであるが、催し事の見物は好きで、東宮席で陪観していた。日がよく晴れて青空の色、鳥の声も朗らかな気のする南庭を見て親王方、高級官人をはじめとして詩を作る人々は皆探韵をいただいて詩を作った。源氏は、
「春という字を賜わる」
 と、自身の得る韵字を披露したが、その声がすでに人よりすぐれていた。次は頭中将で、この順番を晴れがましく思うことであろうと見えたが、きわめて無難に得た韵字を告げた。声づかいに貫目があると思われた。その他の人は臆してしまったようで、態度も声もものにならぬのが多かった。地下の詩人はまして、帝も東宮も詩のよい作家で、またよい批評家でおありになったし、そのほかにもすぐれた詩才のある官人の多い時代であったから、恥ずかしくて、清い広庭に出て行くことが、ちょっとしたことなのであるが難事に思われた。博士などがみすぼらしい風采をしながらも場馴れて進退するのにも御同情が寄ったりして、この御覧になる方々はおもしろく思召された。奏せられる音楽も特にすぐれた人たちが選ばれていた。春の永日がようやく入り日の刻になるころ、春鶯囀の舞がおもしろく舞われた。源氏の紅葉賀の青海波の巧妙であったことを忘れがたく思召して、東宮が源氏へ挿の花を下賜あそばして、ぜひこの舞に加わるようにと切望あそばされた。辞しがたくて、一振りゆるゆる袖を反す春鶯囀の一節を源氏も舞ったが、だれも追随しがたい巧妙さはそれだけにも見えた。左大臣は恨めしいことも忘れて落涙していた。
「頭中将はどうしたか、早く出て舞わぬか」
 次いでその仰せがあって、柳花苑という曲を、これは源氏のよりも長く、こんなことを予期して稽古がしてあったか上手に舞った。それによって中将は御衣を賜わった。花の宴にこのことのあるのを珍しい光栄だと人々は見ていた。高級の官人もしまいには皆舞ったが、暗くなってからは芸の巧拙がよくわからなくなった。詩の講ぜられる時にも源氏の作は簡単には済まなかった。句ごとに讃美の声が起こるからである。博士たちもこれを非常によい作だと思った。こんな時にもただただその人が光になっている源氏を、父君陛下がおろそかに思召すわけはない。中宮はすぐれた源氏の美貌がお目にとまるにつけても、東宮の母君の女御がどんな心でこの人を憎みうるのであろうと不思議にお思いになり、そのあとではまたこんなふうに源氏に関心を持つのもよろしくない心であると思召した。

大かたに花の姿を見ましかばつゆも心のおかれましやは

 こんな歌はだれにもお見せになるはずのものではないが、どうして伝わっているのであろ…

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