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桐の花とカステラ
きりのはなとカステラ
作品ID50252
著者北原 白秋
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻30 短歌」 作品社
1993(平成5)年8月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-04-06 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 桐の花とカステラの時季となつた。私は何時も桐の花が咲くと冷めたい吹笛の哀音を思ひ出す。五月がきて東京の西洋料理店の階上にさはやかな夏帽子の淡青い麦稈のにほひが染みわたるころになると、妙にカステラが粉つぽく見えてくる。さうして若い客人のまへに食卓の上の薄いフラスコの水にちらつく桐の花の淡紫色とその暖味のある新しい黄色さとがよく調和して、晩春と初夏とのやはらかい気息のアレンヂメントをしみじみと感ぜしめる。私にはそのばさばさしてどこか手さはりの渋いカステラがかかる場合何より好ましく味はれるのである。粉つぽい新らしさ、タツチのフレツシユな印象、実際触つて見ても懐かしいではないか。同じ黄色な菓子でも飴のやうに滑つこいのはぬめぬめした油絵や水で洗ひあげたやうな水彩画と同様に近代人の繊細な感覚に快い反応を起しうる事は到底不可能である。
 新様の仏蘭西芸術のなつかしさはその品の高い鋭敏な新らしいタツチの面白さにある。一寸触つても指に付いてくる六月の棕梠の花粉のやうに、月夜の温室の薄い硝子のなかに、絶えず淡緑の細花を顫はせてゐるキンギン草のやうに、うら若い女の肌の弾力のある軟味に冷々とにじみいづる夏の日の冷めたい汗のやうに、近代人の神経は痛いほど常に顫へて居らねばならぬ。私はそんな風に感じたのである。

     *

 短歌は一箇の小さい緑の古宝玉である、古い悲哀時代のセンチメントの精である。古いけれども棄てがたい、その完成した美くしい形は東洋人の二千年来の悲哀のさまざまな追憶に依てたとへがたない悲しい光沢をつけられてゐる。その面には玉虫のやうな光やつつましい杏仁水のやうな匂乃至一絃琴や古い日本の笛のやうな素朴な Lied のリズムが動いてゐる。なつかしいではないか、若いロセツチが生命の家のよろこびを古いソンネツトの形式に寄せたやうに私も奔放自由なシムフオニーの新曲に自己の全感覚を響かすあとから、寥しい一絃の古琴を新らしい悲しい指さきでこころもちよく爪弾きしたところで少しも差支へはない筈だ。市井の俗人すらその忙がしい銀行事務の折折には一鉢のシネラリヤの花になにとはなきデリケエトな目ざしを送ることもあるではないか。私はそんな風に短歌の匂に親しみたいのである。

     *

 その小さい緑の古宝玉はよく香料のうつり香の新しい汗のにじんだ私の掌にも載り、ウイスキイや黄色いカステラの付いた指のさきにも触れる。而して時と処と私の気分の相違により、ある時は桐の花の淡い匂を反射し、また草わかばの淡緑にも映り、或はあるかなきかの刺のあとから赤い血の一滴をすら点ぜられる。
 私は無論この古宝玉の優しい触感を愛してゐる。而巳ならず近代の新しいそして繊細な五官の汗と静こころなき青年の濃かな気息に依て染々とした特殊の光沢を附加へたいのである。併し私はその完成された形の放つ深い悲哀を知つてゐる…

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