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本朝変態葬礼史
ほんちょうへんたいそうれいし
作品ID50271
著者中山 太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「タブーに挑む民俗学 中山太郎土俗学エッセイ集成」 河出書房新社
2007(平成19)年3月30日
初出「犯罪科学 増刊号 異状風俗資料研究号」1931(昭和6)年7月
入力者しだひろし
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-05-30 / 2014-09-16
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

屍体投棄から屍体保存へ

 我国で古く屍体を始末することはハフル(葬)と云うていたが、この語には、二つの意味が含まれていた。即ち第一は投るの意(投げ棄てる事)で第二は屠るの意(截り断つ事)である。しかして時間的に言えば投るが先で屠るが後なのである。
 須佐之男命が古代の民族の為めに、[#挿絵]の木を以て奥津棄戸に将臥さむ具――即ち棺箱を造ることを誨えたとあるが、それが事実であるか否かは容易に判然せぬ。それと同時に奥津は沖津の意であるから、古代には水葬のみで土葬はなかったと云う説もあるが、これは置つと解するのが正当ゆえ賛成されぬ。さらに棄戸とは死人を厭い、死者があると住宅を棄てて他に移ったので、かく言うたのであると説く学者もあるが、これもただ棄て去ると云うほどの意味に解すべきだと考えるので、にわかに首肯することが出来ぬのである。全体我国にも古代においては、屍骸を保存せずに投棄した習俗のあったことは、葬儀をハフルと称した点からも推察されるのである。遊牧期にある民族としては、こうした習俗は当然のことであって、実際を言うと水草を趁うて転々した時代においては、屍体のことなどに屈托しては居られなかったに相違ない。これに加うるに宗教意識は低劣であり、祖先崇拝の道徳も発生せなかったのであるから、屍体の始末は極めて簡単に取片付けられたものと見て差支えあるまい。換言すれば霊肉を一元視した原始時代にあっては、屍体は野か山かまたは池か河かに投棄して顧なかったのであろう。出雲の大社の国造神主が死ぬと、直ちに死骸を赤めの牛の背に縛りつけ、菱根の池へ沈める葬法は、かなり後世まで行われていたようであるが、これなどは或いは原始期の屍体投棄の習俗を残したものとも考えられるのである。それが農耕期に入り住所が固定し、邑落として社会的生活を営むようになって来ると、宗教意識も発達し祖先崇拝の道徳も称導され、さらに肉体は腐朽するも霊魂は存在すると云う、即ち霊肉を二元的に観るようになって、ここに始めて屍体を保存する必要が起り、従ってこれに伴う種々なる葬法が発明されるに至ったのである。復言すればこの時代の民族は、屍体(もし屍体が水死または焼死等でないときは、死者の着ていた衣服または生前使用した器具)を保存して置けば、その霊魂は何時までもそこへ帰って来るものだと信じていたのである。それとともに死者は霊魂となって夜見ノ国(我国では霊魂は地下へ往くものだと信じたのが古く、天上に昇ると考えたのはその後である)へ赴き、ここで生ける時と同じような生活を営むものだと信じたのである。石廓や石棺を用いる厚葬が工夫され、使用の器具が副葬されたのもみなこれが為めである。
 そしてこうした観念のもとに出発した我国の葬儀にあっても、その時代の信仰により、またはその地方の習俗により、多種多様なる変態的葬礼が発生するに至った。限られた紙…

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