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一月一日
いちがつついたち |
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作品ID | 50275 |
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著者 | 永井 荷風 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「花の名随筆1 一月の花」 作品社 1998(平成10)年11月30日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2010-01-12 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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一月一日の夜、東洋銀行米国支店の頭取某氏の社宅では、例年の通り、初春を祝ふ雑煮餅の宴会が開かれた。在留中は何れも独身の下宿住ひ、正月が来ても屠蘇一杯飲めぬ不自由に、銀行以外の紳士も多く来会して、二十人近くの大人数である。
キチーと云つて、此の社宅には頭取の三代も変つて、最う十年近く働いて居る独乙種の下女と、頭取の妻君の遠い親類だとか云ふ書生と、時には妻君御自身までが手伝つて、目の廻ふ程に急しく給仕をして居る。
『米国まで来て、此様御馳走になれやうとは、実に意外ですな。』と髯を捻つて厳めしく礼を云ふもあれば、
『奥様、此れでやツとホームシツクが直りました。』とにや/\笑ふもあり、又は、
『ぢやア最う一杯、何しろ二年振こんなお正月をした事がないんですから。』と愚痴らしく申訳するもある。
何れも、西洋人相手の晩餐会にスープの音さする気兼もないと見えて、閉切つた広い食堂内には、此の多人数がニチヤ/\噛む餅の音、汁を啜る音、さては、ごまめ、かづのこの響、焼海苔の舌打なぞ、恐しく鳴り渡るにつれて、『どうだ、君一杯。』の叫声、手も達かぬテーブルの、彼方此方を酒杯の取り遣り。雑談、蛙の声の如く湧返つて居たが、其の時突然。
『金田は又来ないな。あゝハイカラになつちや駄目だ。』とテーブルの片隅から喧嘩の相手でも欲しさうな、酔つた声が聞えた。
『金田か、妙な男さね、日本料理の宴会だと云へば顔を出した事がない。日本酒と米の飯ほど嫌ひなものは無いんだツて云ふから……。』
『米の飯が嫌ひ……某ア全く不思議だ。矢張り諸君の……銀行に居られる人か?』と誰れかゞ質問した。
『さうです。』と答へたのは主人の頭取で、
『もう六七年から米国に居るんだが……此の後も一生外国に居たいと云つて居る。』
騒然たる一座の雑談は忽ち此の奇な人物の噂さに集中した。頭取は流石老人だけに当らず触らず。
『鳥渡人好きはよくないかも知らんが極く無口な柔順しい男で、長く居るだけ米国の事情に通じて居るから、事務上には必要の人才だ。』と穏な批評を加へて、酒杯に舌を潤はした。
『然し、余り交際を知らん男ぢや無いですか。何程、酒が嫌ひでも、飯が嫌ひでも、日本人の好誼として、殊に今夜の如きは一月一日、元旦のお正月だ!。』と最初の酔つた声が不平らしく非難したが、すると、此に応じて、片隅から、今までは口を出さなかつた新しい声が、徐に、
『然しまア、さう攻撃せずと許して置き給へ。人には意外な事情があるもんだ、僕もつい此間まで知らなかつたのだが、先生の日本酒嫌ひ、日本飯嫌ひには深い理由があるんだ。』
『はア、さうか。』
『僕はそれ以来、大に同情を表して居る。』
『一体、どう云ふ訳だ?』
『正月の話には、ちと適当しないやうだが……。』と彼は前置して、
『つい此間、クリスマスの二三日前の晩の事さ。西洋人に贈る進物の見立をして貰ふには、…