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帰来
きらい |
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作品ID | 50279 |
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著者 | 阿部 次郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆 別巻94 江戸」 作品社 1998(平成10)年12月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2010-01-01 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 12 ページ(500字/頁で計算) |
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千九百二十三年の七月、私は、独逸を出てから、和蘭・白耳義を経て再びパリにはひつた。其処の美術館で、前に見た目ぼしいものを見なほしたり、前に見のこして置いたものを見たりするのが私の主たる目的だつた。その月の二十七日の午後、私はルーヴルの大玄関をはひつて直ちに右に折れ、Galerie Mollien を突当つて同じ名を負ふ階段を二階に上り、左折して仏蘭西初期の画廊に入ると間もなく、又三階に上る階段を踏んで Collection Camondo に到達した。それは千九百十一年に死んだキャモンド伯の蒐集で印象派の絵画を以て有名なものである。さうしてこの蒐集には東洋芸術の遺品も又相応にまじつてゐるのである。
未だ階段の中途にあつて、私の眼は既に壁にかけた支那画にひきつけられた。階段を上りきつた小さい廊下には大きな座像仏が安置されてゐた。さうして其処から足を最初の室に踏み入れると、吾々の眼は四壁にかけた哥麿や写楽等の浮世絵によつて涼しくされる。客遊既に一年半、故国の趣味と生活とに対する郷愁を胸の奥に持つてゐる私に取つては、その微妙な色彩、その簡素な描線、そのほのかな静かな気分が、殆んど一種の救ひとして働きかけて来た。此処には色と線とに対する無量にデリケートな官能がある。此処には、日常生活の些事の中にも滲透して、戯れながらその味を吸ひ取りその美を掬い上げることの出来る芸術家のこゝろがある。凡そその素質のこまやかにその官能の豊かな点に於いて、此等の画家は、時代を等しくする欧羅巴の画家の多くに比較しても、決して遜色がないであらう。而も此等の浮世絵が特別の意味で民衆を代表し民衆に支持されてゐた芸術であることを思へば、此等の芸術を産んだ日本の民族も亦この誇を分つべき充分の資格を持つてゐるのである。一体に私は、故国を離れてから、他との比較によつて益々祖国に対する自信の篤くなることを感じて来た。さうしてこの自信が此処でも亦更に確められ得たことは、私の大なる喜びであつた。
併しこの喜びは、決して影のない光のみではなかつた。私の誇りは、その反面に羞恥に似た一種の感情に裏打せられることを、如何ともすることが出来なかつた。此等の画家と彼等を生んだ民族とが、優れた素質と豊かな官能とを持つてゐることについては、少くとも私にとつては何の疑ひもない。併し彼等はこの素質と官能とを如何なる自覚と意志とを以て率ゐてゐるか。彼等の絵のうちに、志すところの高さと、人生の第一義に参する者の自信とを捜し求めるとき、吾々は其処に何等か積極的に貫いてゐるものを発見することが出来るか。徹底するに先つて横に逸れた、小さい機智と皮肉との遊戯、一面に非難者の声を予想しつゝ、而もこれに耽溺することを禁じ得ぬ、意識的な反抗的な好色――かういふものがその素質と官能との純真を累ひして、芸術の本流との疎隔を余儀な…