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人生の楽事
じんせいのらくじ |
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作品ID | 50297 |
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著者 | 福沢 諭吉 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「福澤諭吉著作集 第5巻 学問之独立 慶應義塾之記」 慶應義塾大学出版会 2002(平成14)年11月15日 |
初出 | 「時事新報」1893(明治26)年11月14日 |
入力者 | 田中哲郎 |
校正者 | hitsuji |
公開 / 更新 | 2020-02-03 / 2020-01-24 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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左の一編は十一月十一日、府下芝区三田慶應義塾に於て福澤先生の演説したるその大意の筆記なり。
人には何か楽しむ所のものなかるべからず。旅行を好む者あり、閑居を貪る者あり、遊芸を嗜む者あり、書画骨董を悦ぶ者あり。尚お之より以外には財産の増殖に余念なき者もあれば、功名利達に熱心なる者もあり。その他千種万様限りなき人事の運動は、浮世の人々がおの/\その心を楽しましめんとするの働にして、或は之をその人の楽しみとも云えば又はその志とも云う。諸君にも必ず何か楽しむ所、志す所のものあるべし。折々は相会して之を語り之を論ずるこそ面白けれ。今晩は老生が壮年の時より今に至るまで曾て一日も忘れたることなくして、遂に今に至るまで意の如くならざりし一快楽事の想像を語らんに、老生は本来儒学生にして、今を去ること四十年、年齢二十の頃、始めて洋学に志し、その入門は物理学にして、之を悦ぶこと甚だしく、何か一科の専門に入りて為すことあらんとの熱心は万々なれども、時勢の許さゞる所にして、家に資力もなく、朝暮衣食の計に忙くして心を専一にすること能わざるのみか、開国以来の世変を見れば自から黙止すべきにも非ず、色々の著述などして時を費したることも多し。左れども物理学の一事は到底心頭を去らずして、之を思えばいよ/\面白く、独り心に謂らく、造化の秘密、誠に秘密なるが如くなれども、化翁必ずしも之を秘するに非ず、人の之を探究せざるが故なり。蒸気、電気の働は開闢の初より明に示す所なれども、人間の暗愚なる、久しく之を知らずして、漸く近年に至り始めてその端緒を探り得たるのみ。今後とても人智の次第に進歩するに従い、いよいよ之を探りていよ/\之を知り、その知り得たる上にて未だ知らざる時のことを思えば、唯人間の暗愚なりしを悟るのみにして、今日は学界尚お暗黒の時代と云うも可なり。この時に当り一意専心、物理を探究して、造化の秘密を開くは人間無上の快楽にして、王公の富貴栄華も羨むに足らず。之を眼下に見てその生活の卑俗なるを憐むと同時に、自家の空想を逞うし、例えば動植物生々の理、地球の組織又その天体との関係、化学の働は果して何れの辺にまで達すべきや、宇宙勢力の原則は果して既に定まりたるや否や、など仔細に之を思えば千百の疑問際限あるべからず。満目恰も造化の秘密に囲まれて唯人智の浅弱を嘆ずるのみなれども、いよ/\進んでいよ/\深きに達し、曾て底止する所を知らざるも亦是れ人生の約束なれば、勇を鼓して知見の区域を拡め、恰も化翁と境を争うは是れぞ学者の本領なりと深く信じて之を疑わず、殊に我日本国人の性質を見るに、西洋文明の新事を知りしは輓近のことなれども、知識の教育練磨は千百年来生々の遺伝に存して、新事の理を解するに苦しまざるのみか、起首原造の天資に乏しからずして、洋学開始以来単に西洋を学ぶの時代は既に経過し、今は学問場裡に彼我併立の勢…