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風は草木にささやいた
かぜはくさきにささやいた
作品ID50305
副題02 跋
02 ばつ
著者土田 杏村
文字遣い旧字旧仮名
底本 「日本現代文學全集 54 千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」 講談社
1966(昭和41)年8月19日
入力者土屋隆
校正者田中敬三
公開 / 更新2009-05-05 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 山村君
 君と僕とは如何なる不思議の機縁あつてか斯くも深いまじはりに在り、君のその新しい詩集の一隅にいまは僕の言葉がつらなることとなつてゐる。おそらく君は僕を一評論家と遇して何事をか述べさせようとするのではなからう。僕もまた文壇に立つものの一人として君の詩集にむかはうとは思はない。君の生活は僕にとつてはあまりに嚴肅であり、君の詩は僕にとつてはあまりに尊貴であるが故に、僕は幾分でもかの評論家の態度に於て君に對することを恥ぢてゐる。而もかの唐土の一詩人がつねにその詩を街上の老嫗にもたらした雅量をもつて君が僕の言葉にきかれるならばそれは僕の幸福といふものだ。

 君の詩について僕がなにごとかを言ふのはこれで三度目だと思ふ。はじめは「第三帝國」で「新文藝の理想を提唱す」の一ぺんを書き、僕の所謂神祕的象徴主義の哲理を提唱した時であつて其の中で僕はまづ僕の藝術理想を斯く主張した。

1 まづ人道主義者の主張に反して文藝からは一切の道徳的倫理的の標準をとり去らなければならない。
2 個人的相對的經驗的の感覺と感情とをはなれて超個人的絶對的形而上的の感覺と感情、言はば宇宙或は自然がもつ感覺感情ともいふべきものを表現しなければならない。これに對して前者の感覺と感情とをのみ表現してその奧に後者の感覺と感情とを暗示し得ない藝術をセンチメンタリズムの藝術と呼ぶ。
3 此の意味の感覺と感情とを表出する手段(材料)は適切にその感覺と感情とに對應しなければならぬので、手段が感覺と感情とを※[#「走にょう+兪」、117-下-18]越することも亦其の反對も許されない。換言すれば或る特異の感覺と感情とを表現するには聯想といふ手段によつて示してはならない。その特異の感覺と感情とをただそれだけのもの即ち其れ以上でも其れ以下でも以外でもないものによつて表現しなければならない。これが象徴である。

 僕の此の神祕的象徴主義からみた君は如何なる詩人であるか。

「僕は長い以前から僕自身の眞に希求する、もつとぴつたり合致する作品をみないで善いといふならば大抵の作品は何處かが善く、惡いといふならば大抵の作品はその何處かが惡いと言はれ得る程度のものに見えたが、近頃殆んど僕の希求に近い藝術家を見出すことが出來て非常に心強くもうれしく思つて居る。それは詩人としての山村暮鳥氏である。作品を通じてみた氏はどうしても僕自身の主張する神祕象徴主義の具現せられたものであると思つてゐたが、今や氏の創作の態度などを聞知するに及んで益[#挿絵]その感を強めることができた。氏の如く卓越した藝術家を其の眞價に於てみとめ得ず理解し得ない一般文壇は全く藝術家を待遇するの途を知らぬものと言はねばならない。」

 而もいまは君に就てこんな嘆聲を漏らす必要もなく、君の詩はすべての眞面目なる人々の驚異となつてゐる。きれぎれにみてゐた君の詩がま…

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