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透明人間
とうめいにんげん |
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作品ID | 50346 |
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著者 | ウェルズ ハーバート・ジョージ Ⓦ |
翻訳者 | 海野 十三 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「透明人間」 ポプラ社文庫、ポプラ社 1982(昭和57)年7月 |
入力者 | 京都大学電子テクスト研究会入力班 |
校正者 | 京都大学電子テクスト研究会校正班 |
公開 / 更新 | 2010-08-22 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 154 ページ(500字/頁で計算) |
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黒馬旅館の客
影のような男
怪物!
そうだ、怪物にちがいない。
怪物でなくて、なんだろう? 科学が発達した、いまの世の中に、東洋の忍術使いじゃあるまいし、姿がみえない人間がいるなんて、これは、たしかに変だ。奇怪だ!
しかし、それは、ほんとうの話だった。怪物ははじめに、ものさびしい田舎にあらわれた。それからまもなく、あちこちの町にも出没するようになったのである。たいへんな騒ぎになったことは、いうまでもない。
その怪物の姿は、まるっきり見えないのである。すきとおっていて、ガラス、いや空気のように透明なのだ。諸君は、そんなことがあるもんか――と、いうだろう。だが、待ちたまえ!
怪物が、はじめて田舎のその村にやってきたのは、たしか二月もおわりに近い、ある寒い朝のことだった。身をきるような風がふいて、朝から粉雪がちらちら舞っていた。こんな寒い日は、土地のものだって外を出あるいたりはしない。
その男は、丘をこえて、ブランブルハースト駅から歩いてきたとみえ、あつい手袋をはめた手に、黒いちいさな皮かばんをさげていた。からだじゅうを、オーバーとえりまきでしっかり包んで、ぼうしのつばをぐっとまぶかにおろし、空気にふれているところといったら、寒さで赤くなっている鼻さきだけであった。なんともいいようのない、ぞっとするようなふんいきを、あたりにただよわせながら、黒馬旅館のドアをおしひらいてはいってきたのである。
「こう寒くちゃあやりきれない。火だ! さっそくへやに、火をおこしてもらいたいな」
酒場へ、ずかずかとはいってくるなり、ぶるるんと、からだをゆさぶって雪をはらいおとし、黒馬旅館の女あるじに向かって、そう言った。
いまどき、めずらしい客である。こんな冬の季節に、しかもこんなへんぴな土地に、旅の商人だってめったにきたことはないのだ。おかみさんは、びっくりもし、なげだされた二枚の金貨をみると、すっかりよろこんでしまった。
「とうぶん、とめてもらうから」
客をへやに案内すると、暖炉に火をもやしてたきぎをくべ、台所でお手伝いにてつだわせて、おかみさんはせっせと食事のしたくをした。
スープ皿、コップなどを客室にはこんで、食卓のよういをととのえた。暖炉の火はさかんにもえて、ぱちぱちと音をたてている。
ところが、火にあたっている客はこちらに背をむけたまま、ぼうしもオーバーもぬごうとはしないで、つっ立っている。中庭にふりつもる雪をみつめながら、なにか考えているようだった。オーバーの雪がとけて、しずくが床のじゅうたんの上にしたたり落ちていた。
「もし、あのう、おぼうしとオーバーを、おぬぎになりましたら? 台所でかわかしてまいりますわ」
と、おかみさんが声をかけた。
「いいんだ」
ふりむきもしないで、客が、ぶっきらぼうに言った。おかみさんはあわてて、残りの皿をとりに台…