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四百年後の東京
よんひゃくねんごのとうきょう
作品ID50391
著者正岡 子規
文字遣い新字旧仮名
底本 「飯待つ間」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年3月18日
初出「日本」1899(明治32)年1月1日
入力者ゆうき
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-06-05 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

神田川

 都会の中央、絶壁屏風の如く、緑滴り水流れ、気清く神静かに、騒人は月をここに賞し、兇漢は罪をここに蔵す、これを現今の御茶の水の光景とす。紅塵万丈の中この一小閑地を残して荒涼たる山間の趣を留む、夫の錙銖を争ふ文明開化なる者に疑ひなき能はざるなり。不折が画く所、未来の神田川、また余輩と感を同じうせし者あるに因るか。図中、三重に橋を架す、中なるは今の御茶の水橋の高さにあり、屋上最高の処に架したるは高架鉄道にして、最下にある者もまた一般の通路なり。三層五層の楼閣は突兀として空を凌ぎ、その下層はかへつて崖低く水に臨む処にあり。上層と下層と相通ずるには石階を取つて迂回すべく、昇降機に依りて上下すべし。両岸楼閣には旅館あり、割烹店あり、喫茶珈琲店あり、金銀雑器書画雑貨を陳列せる高等商店あり、神田婦人倶楽部あり、新派俳優倶楽部あり、新奇発明の色取写真店あり。スルガホテルは旅館の最大なる者、茗渓楼は割烹店の最流行せる者、喫茶珈琲店の巨魁たる、小赤壁亭が一種の社交倶楽部的組織を以て、雅俗を問はず一般に歓迎せらるるは同亭に出入する煙草吸殻商の産を興したるにても知るべし。あるとある贅沢、あるとある快楽、凡そ人間世界に為し得べき贅沢と快楽を攅めて装飾したるこの地は到底明治時代の想像に及ぶべくもあらず。或る華奢なる美術狂某がこの地に天然の趣味を欠ぎたるを恨み、吉野、嵐山の桜の花片を汽車二列車に送らしめてこれを御茶の水に浮べ、数艘の画舫、佳人を満載してその間を漕ぎまはらしめたりといふ佳話は一日として小赤壁亭中の話頭に上らざる事あらず。
 しかれどもこの地の精華はその実、上層にあらずして下層にあり、御茶の水上橋に非ずして御茶の水下橋にあり(橋の名のかく名づけられたるなり)下橋を渡りて隧道に依りて通ずる幾個の地下国は尽くこれ待合(今の待合とやや性質を異にす)にして、毎家、幾多の蛾眉を貯ふ。房廓は昼夜数百の電燈を点じて、清気機は常に新鮮なる空気を供給す。房中の粧飾、衣服の驕奢、楼に依り、房に依り、人に依りて各その好尚を異にす。濃艶なる者は金銀珠玉、鳳凰舞ひ孔雀鳴く。清楚なる者は白沙浅水、涼風起り白鷺飛ぶ。洋風なる者は束髪長裾、俗にこれを嬢と呼び、和装なる者は雲髻寛袖、俗にこれを姫といふ。小桜姫とレツドローズ嬢とは両派の名妓にして彼が一月の纏頭は二万円を下らずといふ。世人この地を称して楽園と呼びまた白魔窟と呼ぶ。かつてここに遊びたる紳商某は足再びその室を出でずして鉅万の産を蕩尽したる事あり。文士某がこの地の名妓仇国と心中したる時の遺書は一巻の小説として出版せられその売高は以てその生前の負債を償ひたる事あり。
 有名なる考証家中邦婀娜夢氏は『四百年後の東京』と題せる一書を著して非常の好評を博せり。その中の一節に曰く
野蛮の先導者暗黒時代の松明持孔子を祭りたる廟と今なほ二、三の考古家により…

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