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こい
作品ID50405
著者正岡 子規
文字遣い新字新仮名
底本 「飯待つ間」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年3月18日
初出「ホトトギス 第二巻第六号」1899(明治32)年3月10日
入力者ゆうき
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-06-26 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

○昔から名高い恋はいくらもあるがわれは就中八百屋お七の恋に同情を表するのだ。お七の心の中を察すると実にいじらしくていじらしくてたまらん処がある。やさしい可愛らしい彼女の胸の中には天地をもとろかすような情火が常に炎々として燃えて居る。その火の勢が次第に強くなりて抑えきれぬために我が家まで焼くに至った。終には自分の身をも合せてその火中に投じた。世人は彼女を愚とも痴ともいうだろう。ある一派の倫理学者の如く行為の結果を以て善悪の標準とする者はお七を大悪人とも呼ぶであろう。この、無垢清浄、玉のようなお七を大悪人と呼ぶ馬鹿もあるであろう。けれどお七の心の中には賢もなく愚もなく善もなく悪もなく人間もなく世間もなく天地万象もなく、乃至思慮も分別もなくなって居る。ある者はただ一人の、神のような恋人とそれに附随して居る火のような恋とばかりなのである。もし世の中に或る者が存して居るとすればその者が家であろうが木であろうが人であろうが皆この恋人のためにまたは我恋のために存して居らねばならぬ。しかるにその物が少しでもこの恋を妨げる者であったならば家であろうが木であろうが人であろうが片端からどしどし打毀して行くより外はない。この恋が成功さえすれば天地が粉微塵コッパイになっても少しも驚きはせぬ。もしまたこの恋がどうしても成功せぬときまった暁には磔に逢うが火あぶりに逢うが少しも悔む処はない。固より悔む処はないのであるけれどしかし死という事が恐ろしくあるまいか、かよわい女の身で火あぶりに逢わされるという事を考えた時にそれが心細くあるまいか。家を焼くお七の心がいじらしいだけそれだけ、死に臨んだお七の心の中があわれであわれで悲しくてたまらん。死に近づく彼女の心の中は果してどんなであったろう。初より条理以外に成立して居る恋は今更条理を考えて既往を悔む事はないはずだ。ある時はいとしい恋人の側で神鳴の夜の物語して居る処を夢見て居る。ある時は天を焦す焔の中に無数の悪魔が群りて我家を焼いて居る処を夢見て居る。ある時は万感一時に胸に塞がって涙は淵を為して居る。ある時は惘然として悲しいともなく苦しいともなく、我にもあらで脱殻のようになって居る。固よりいろいろに苦んで居たに違いないけれど、しかしその苦痛の中に前非を後悔するという苦痛のない事はたしかだ。感情的お七に理窟的後悔が起る理由がない。火を付けたのは、しようかせまいかと考えてしたのではなく、恋のためには是非ともしなくてはならぬ事をしたものを、なぜにその事についてお七が善いの悪いのというて考えて見ようか。もしそれを考えるほどなら恋は初から成り立って居なかったのだ。あるいは、お七は、裁判所で、裁判官より、言い遁れる言いようを教えてもろうたけれど、それには頓着せず、恋のために火をつけたと真直に白状してしもうたから、裁判官も仕方なしに放火罪に問うた、とも伝えて居る…

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