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三太郎の日記 第二
さんたろうのにっき だいに |
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作品ID | 50424 |
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著者 | 阿部 次郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「合本三太郎の日記」 角川書店 1950(昭和25)年3月15日 |
入力者 | Nana ohbe |
校正者 | 山川 |
公開 / 更新 | 2011-09-17 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 171 ページ(500字/頁で計算) |
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主よ我信ず、わが信なきを助けたまへ
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一 思想と實行
1
實行とならぬ思想は無價値だと云ふ言葉は屡[#挿絵]耳にするところである。併しこの言葉の意味は隨分粗雜で、その眞意を捕捉し難い。若し實行とは主觀が客觀(人及び物)に直接に働き掛ける事のみを意味するならば、或る種類の思想は本來實行となるまじき約束を持つてゐる。さうして實行とならずともその思想は決して無價値ではない。若し又實行とは主觀内の作用が他の主觀作用を――一つの思想感情が他の思想感情を――喚起する事をも意味するならば、凡ての眞實なる思想は必然的に實行となる。世界の何處にも實行とならぬ思想はあり得ない。
數學上の公理は幾多の定理と系と命題とを産んだ。物理學上の法則は宇宙間に行はるゝ幾多の具體的事實を説明した。思想は常に思想を産んで細密なる連續體を形成し、遂に吾人の世界觀を構造するに至る。如何なる場合に於ても思想は力である。
思想は力なるが故に、思想は波及する、又深みに行く。數學者又は物理學者の思想と雖も彼等の世界觀を規定し彼等の人格的生活を規定せずには措かない。況して哲學上藝術上の思想が哲學者藝術家の Gem[#挿絵]t(心ばえ)に作用して、彼等の主觀状態を改造することは云ふ迄もないことである。故に實行とならぬ思想は無價値だと云ふ主張が、單に力――心理的の力である物理的社會的の效果を惹起す可き力ではない――力のない思想、遊離せる思想、空華なる落想を拒斥するだけの意味ならば、固よりその主張は正當である。此主張は要するに虚僞なる思想は無價値だと云ふに等しい。改めて云ふまでもないことである。
併し凡ての力ある思想は必然的に客觀に働き掛ける性質を持つてゐると云ふ事は出來ない。固より凡ての力ある思想はその思想を懷抱する人の人格を規定する。從つてその人格が客觀に働き掛ける際の態度を何等かの意味に於いて規定する。故に間接に云へば凡ての思想は客觀に働き掛ける性質を持つてゐると云へない事はない。併し[#挿絵]り[#挿絵]つて客觀に働き掛ける結果となる事は、思想そのものが客觀に働きかける目的を持つてゐると云ふ事にはならない。又思想そのものが直接に客觀に働き掛ける性質を持つてゐると云ふ事にもならない。或種類の思想は先づ人格を規定して、その人格を通じて間接に客觀に作用する結果を産む。又或種類の思想は客觀に働き掛けむとする人格の意志より生れて、直接に客觀と折衝するの任に當る。若し實行とならぬ思想は無價値だと云ふ主張が第一種の思想を否認して、第二種の思想のみを是認するの意ならば、此主張の根據は躁急なる實利主義と淺膚なる巧利主義に在ると云はなければならぬ。此の如きは唯内面生活の權威を知らぬ商人のみの口にす可き主張である。
此意味の主張に從へば、數學と物理學とは…