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山を思う
やまをおもう
作品ID50461
著者石川 欣一
文字遣い新字新仮名
底本 「山を思う」 山渓山岳新書、山と渓谷社
1955(昭和30)年5月20日
入力者富田晶子
校正者雪森
公開 / 更新2018-08-04 / 2018-07-27
長さの目安約 162 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

アイスアックス


「私のアイスアックスはチューリッヒのフリッシ製」……と書き出すと、如何にも「マッターホーン征服の前日ツェルマットで買った」とか、「アルバータを下りて来た槇さんが記念として呉れた」とかいう事になりそうであるが、何もそんな大した物ではなく、実をいうと数年前の夏、大阪は淀屋橋筋の運動具店で、貰ったばかりのボーナス袋から十七円をぬき出して買ったという、甚だ不景気な、ロマンティックでない品なのである。だが、フリッシ製であることだけは本当で、持って見ると仲々バランスがよく取れている。その夏、真新しくて羞しくもあり、また、如何に勇気凛々としていたとは言え、アイスアックスをかついで大阪から汽車に乗りこむ訳にも行かないので、新聞紙に包んで信州大町まで持って行った。この時は針ノ木峠から鹿島槍まで、尾根を伝うのだから大した雪がある筈は無く、真田紐で頭を縛って偃松の中や岩の上をガランガラン引ずって歩いたもんだから、石突きの金具や、その上五六寸ばかりの処がザラザラになって了った。
 この年から大正十五年の六月まで、私のアイスアックスは大町の対山館に居候をしていた。居候と云っても只安逸な日を送っていたのではなく、何度か対山館のM氏に伴われて山に行った筈である。今年六月、まる二年振りで対山館へ行って見たら、土間の天井に近い傘のせ棚に、大分黒くなった長い身体を横たえていた。即ちこれを取り下し、大町から針ノ木峠、平、刈安峠、五色ガ原、立山温泉、富山という旅行に使用した。非常な雪で、また大町――富山の大正十五年度の最初の旅行だったので、アイスアックスが大いに役に立った。
 富山から同行者二人は長野経由で大町へ帰り、私は直接大阪へ帰ることになった。従ってアイスアックスも大阪へ帰って来たが、何もすることがない。戸棚の隅でゴロゴロしている丈である。時々令夫人が石突きで石油の鑵をあけたり、立てつけの悪い襖をアックスを用いてこじあけたりする。山ですべてを意味するアイスアックスも、大阪郊外の住宅地では、かくの如く虐待されている。
 所で、私はこのアイスアックスが非常に好きである。時々酔っぱらうと戸棚から出して愛撫したりする。アイスアックスが、登山のシンボルであるような気がするからである。元来私が、氷河の無い日本の山を、而も夏に限って登るのに(将来あるいは冬登るかもしれないが)大して必要でないばかりか、ある時には却って邪魔になるアイスアックスなんぞを買い込んだ理由は、実にこれなのであった。刀剣の好きな人が、日本刀に大和魂を見るように、私はアイスアックスに登山者の魂を見出す。それにまた、冬の夜長など、心しきりに山を思う時、取り出して愛撫する品としては、アイスアックス以外に何も無い。
 登山者としての私は道具オンチではないから、あまり色々な物を持っていはしないが、それにしても若干ある登山具を…

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