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反古
ほご
作品ID50572
著者小山内 薫
文字遣い旧字旧仮名
底本 「發禁作品集」 八雲書店
1948(昭和23)年9月1日
初出「新思潮 第二次第一號」」鳴皐書院、1910(明治43)年9月
入力者林幸雄
校正者宮城高志
公開 / 更新2010-10-23 / 2014-09-21
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 これは私が十七の時の話です。
 私の伯母の内に小間使をしてゐたお時といふ十七になる女が、二月ばかり私の内へ手傳に來てゐたことがありました。何でも内の小間使が、親が死んだかどうかして、暫く國へ歸つてゐた間の事です。
 お時は鼻の少し大きな女でしたが、少し下つた眼尻に何とも言へぬ愛嬌があつて、年頃の男の氣を引くにはそれでもう十分でした。それに色のくッきりと白いのと、聲の可愛いのと、態度の如何にも色ッぽいのとが、餘計に私共の氣を浮き立たせたのです。
 併し、伯母の所へ來たての時分は、高い所に生つてゐる青い林檎の實のやうに、惡くコツ/\と堅くて、私共の手の屆かぬ所へ始終逃げてるといふ、風がありました。
 その逃げる所が又可愛いので、なほ私共は追つかけたものです。伯母の留守を狙つて行つては、よく家中追つかけ廻したものですよ。二人とも跣足で庭へ飛び降りて築山の椿の後で箒合戰をした事などは度々です。何でもふざけてふざけて、ふざけ拔いて、草臥れるまではいつも止めないのですね。お時はいつでも終に、
『あんまり常談をなさるとおかあ樣にいつけますよ。』
 と少し怒つたやうな顏でいふのです。すると私は初めて自分に歸るのです。
 その時分私にとつて阿母さん程恐い者は無かつたのですからねえ。いつでもお時にこれを言はれると、默つて直ぐふざけるのは廢して了ふのです。そして、
『ぢやァ、もう廢すからね。勘辯してお呉れよ。ね、ね。阿母さんに言つちや厭だよ。』
 と、拜むやうな眼附をするのです。それから澄まして、學校の荷物か何か抱へて歸つて來るのです。
 土曜日の晩は大抵伯母の所へ泊りに參りました。そして伯母の寢る時、一度一緒に寐たふりをして、伯母の寐ついたのを見極めると、そつと自分だけ起きて、まだ女中部屋に起きてゐるお時の所へ出かけるのです。そして面白い話をしてやるとか何とか言ひながら、又例の惡ふざけを始めるのです。
 所がいつも斯ういふ時は御膳焚のお里といふ大女を味方にして、二人で私を押伏せて了ふのです。そのお里といふ奴は中々力がありましたから、こいつに兩方の手首を押へられて了ふと、私はどうする事も出來なくなるのです。
『爲樣のねえ坊ッちやまだ。男の癖に女中の部屋などに來るものぢやねえよ。早くあッちへ行つて寐ねえと、そら酷いから。』
 こんな事を言ひながら、厭といふ程私の手首を締めつけるのです。私はいつでも堪らなくなつて詫つて了ふのです。
『寐るから、寐るから勘辨してお呉れよ。寐るからッてばさァ。』
 などとよく泣き聲を出したものです。それをお時は側で笑つて見てゐるのです。
 隨分追つかけ廻つたものですが、餘り先が強情なんで、もう迚も望は無いと思ひましたから、諦めて了つて、それからもう伯母の所へ行つても餘り惡ふざけはしなくなりました。
 段々伯母の所へ行く度數も少くなりました。
 然るに半…

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