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震災後記
しんさいこうき
作品ID50579
著者喜田 貞吉
文字遣い新字新仮名
底本 「喜田貞吉著作集 第一四巻 六十年の回顧・日誌」 平凡社
1982(昭和57)年11月25日
初出「社会史研究 第一〇巻第四号」1923(大正12)年12月
入力者しだひろし
校正者富田晶子
公開 / 更新2020-09-01 / 2020-08-28
長さの目安約 42 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 九月一日来の関東の大震については、自分の親しく見聞関知したところをいささか書きとめて、その混乱の最も烈しかった六日までの分を「震災日誌」と題して『社会史研究』拾壱月号〔(第一〇巻第三号)〕に掲載したのであったが、七日以後にもかなりひどい余震が繰り返され、世間はそわそわとして震災気分は相変らず濃厚だ。崩壊した古土蔵の土塊のために荒らされた書斎その他はまだもとのままで、事実学窓は閉塞の有様だ。この有様がいつまで続くか見当がつかぬ。すなわちここに爾後なお数日間の記事を「学窓日誌」から切り離して「震災後記」と題し、別に収めて後の記念とする。
九月七日(金)
 今日から東京で市内電車の一部が始めて動き出した。宅の附近では大塚終点から春日町まで、わずか九停留場の間だけだが、それでもどれだけ通行人が便利を得るか知れぬ。しかし罹災者を無料で乗せるというので、罹災者ならぬ有象無象までがそれにお相伴して、車掌台はもとより、窓の外側まで透き間なし鈴なりの乗客だ。いな、ぶら下り客で一ぱいだ。とても自分らごとき気の弱いものには乗れそうもない。相変らず昔慣れた自転車が役に立つ。
 午後から水道の水が出だした。もっとも低い場所だけらしいが、どんなに嬉しく思ったか知れぬ。初めから水道のない国だったら、この嬉しさは味わえず、またこんなに不自由をしなかったのだ。
 植木屋の人足がやっと四人来てくれて、振り落された瓦の破片や土塊の取り片つけに着手する。
 北埼玉郡国納なる妻の従弟日下部彦太君が、はるばる自転車で白米二升を持って見舞に来てくれた。大阪を始め各地から白米多額輸送の評判のみ高くてもまだ市場には売り出さず、麦飯や玄米飯を補充に用いているさいのこの賜は何よりも嬉しかった(追記。彦太君は帝大生で、前途に嘱望せられた青年であったが、この日雨を冒して東京の親戚まわりをした後に間もなく病気にかかって、十月三十一日帝大病院でついになくなられた。何という気の毒なことであろう)。夜十二時ごろかなりビックリさせるほどの強い奴がやって来た。
 夜警は依然として続く。夜九時より後は往来を禁止するとのことが新聞記事に出た。焼け残った『報知』や『東京日日』が出だしたので、いくぶん正確な様子もわかり、人気はだんだん落ち付いて来たとは言うものの、なかなか戦時気分を脱しそうにもない。郵便も来ねば地方の新聞も来ぬ。見るもの聞くもの、気の毒なこと、気味の悪いこと、恐ろしいことばかりで、風声鶴唳とでもいおうか、真を置きがたい巷説がまだやまぬ。
九月八日(土)
 今日は植木屋が五人来てくれて、昨日の続きをやる。室内の掃除もだいたい済んで、始めて畳の上で坐ることが出来た。始めて家に落ちついた気がする。実は一日以来そわそわのみしていて、舞い込んだ土煙りの掃除も出来ず、汚された座敷の上は草履ばきで歩行いていたのだ。
 富士紡在勤の…

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