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葵原夫人の鯛釣
あおいはらふじんのたいつり
作品ID50581
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「垢石釣游記」 二見書房
1977(昭和52)年7月20日
入力者門田裕志
校正者塚本由紀
公開 / 更新2015-09-03 / 2015-08-26
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 葵原夫人は、素晴らしい意気込みである。頬に紅潮が漂って来た。
「では、いけませんか?」
 と、念を押す。
「いけない、と言うことはありませんが、一体に婦人は舟に弱いものですからね」
「いえ、それでしたら御心配いりませんわ。私、もう五、六年も毎年葵原と一緒にヨットの練習をやっているんですもの――一度だって、眩ったこと御座いませんの――」
「それなら、いいですが」
「昨年の夏は、品川から三崎まで遠乗りしましたわ。ちゃんと、度胸が据わってます」
「大したものですな――しかし、葵原君が同意するかどうか?」
「ところがですわ、今朝お前がやって見たいと言うなら、行ってお願いして見なさい、と言って葵原の方から私に勧めたような訳で御座いますわ」
「そうでしたら、構いませんが……」
 が、しかし、時化を食った白波の海の真ン中で、婦人が船眩いに苦しむ、ぐったりとした姿を想像して見た。これは、自分が苦しむより以上、悩ましきものであると思った。
「では、御供させて戴けるんですか?」
「それ程、御熱心なら……」



 婦人として、曾て試みた者はないであろうと思う、沖の大鯛釣へ葵原夫人は、連れて行って呉れと言うのである。
(よもや)
と、思っているところへ、だしぬけにやって来たのであった。
 ではあるが、この頃の葵原夫人の釣熱から考えると、当然のようでもある。と言うのは、私が昨日の夕方東京湾口で釣った大鯛を、葵原君の晩酌の肴に持参したからである。鯛は、海神の寵姫であるかも知れない。淡紅の肌に泛んだ紫紺色の小さな斑点は、夜宴のドレスを飾る無数の宝玉のようにも見える。虹の光沢に似て光る二つの腹鰭、円い大きな澄んだ眼、豊満な鱗の下の肉。威あって而も優しい体から受ける形容は、ただ一つ麗艶の言葉に尽きる。しかもそれが、一貫三百匁の大物であった。
「立派ですなア」
 葵原夫妻は、笹を敷いて籠の上に在る贈物に、眼を[#挿絵]って讃嘆した。
「私も釣って見たい……」
 心の表現を補足しようとするのであろうか、夫人は葵原君の肩を双手で揺った。
「駄目だ――それは、泥亀が月を望むと同じようなものだ」
「私、きっと釣って見せるわ。きっと――」
 三人は、卓子の上に置いた籠を囲んで、暫く立ち去り得なかった。
 それから、眼玉の潮羹を作った。刺身にもなった。塩焼も出た。アラ煮もこしらえた。
 濃胆な味品。昔から鯛を海魚の王者と言ったが、透き通るような肉の鮮味は、これに敵う魚が他にあるであろうか。而も胆にして薄ならざるところ、食って味覚に残る何の滓韻もない。
 三人は、飽食した。葵原は陶然としている。
 葵原夫人の美貌は、端麗な容姿に調和してまことに上品である。そして、素敵に健康だ。籠球も、水泳も、庭球もやった学生時代、颯爽たるお嬢さんの、女離れした気性を喜んで葵原君が迎えた。嫁してからは、スキーも穿…

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