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河鱸遡上一考
かわすずきそじょういっこう
作品ID50587
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「垢石釣游記」 二見書房
1977(昭和52)年7月20日
入力者門田裕志
校正者塚本由紀
公開 / 更新2015-09-14 / 2015-05-25
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 鱸は八十八夜過ぎると、河に向うそうである。すると、かなり水温の低い頃から遡河をはじめるものと見える。
 五月初旬というと、利根川は雪解水の出盛りである。分流江戸川へこの水が流れ込んで来るのはもちろんであるが当時上流地方に於ける水温は低い時で八度から九度、暖い日で十一度から十二度であるから、下流へ来るに従い次第に温まるにしろ、まだ人間が膝まで入れば、身ぶるいをする位であろう。江戸川口も、銚子口もまだ別れ霜を気遣って、茄子苗を露地へ出すのに、毎日日和ばかりを見て居る頃である。
 東京附近で鱸が向う川は、江戸川、利根本流、荒川及び放水路、水戸の那珂川等幾本もないが、そのうち利根の二川は今申した通り、荒川は利根に比較して割合に雪解水が薄く、量も少いからこれは遡上が早いと見るのが至当である。那珂川は、奥山というものを持たない、即ち水源地方の山嶺が概して低いので、雪解水は毎年三月中には出てしまう。遅い年でも四月半ばまでには山が綺麗になってしまう。だから五月初旬には、湊町の川口附近では水温が十六、七度から、日和の暖かい日には二十度近くに昇ると思う。そして五月初旬から引続き土用頃まで、後からも後からも、鱸の群が川口を遡るのであろうが、水戸附近川口から僅かに三里強しか離れない那珂郡国田村附近に於て、七月の二十日過ぎ、どうしても土用に入らなければ鈎に掛らない。どうした訳だろう。餌が適当でないのだろうか、釣法が下手なのだろうか、それとも釣場の選定を誤って居るのだろうか。
 荒川は赤羽橋附近で、江戸川では松戸附近で六月に入れば鈎を追うが、利根の本流も土用に入らなければ本当の季節とはいえない。
 そうすると、五月初旬から七月中旬過ぎまで三ヶ月近い日柄を、鱸の奴、何処にどうして居るのだろう。水温十二、三度の頃遡上をはじめるが、その頃でも餌を食わないでは居まい。ところが水温が二十四、五度に昇った暑中に入らなければ、人間が提供した餌は食わないというのだから、実にえこじの奴ではある。
 鱸釣専門の遊漁家に、「河の水温と鱸釣について」とでもいう研究を、是非やって頂き度いと思う。



 八月下旬頃利根川に出水があった時、銚子口から六十里上流の前橋附近で投網を打つと、ザラ場でセイゴが入る。秋江戸前で釣れる出来の小鱸より小さい五、六寸位のものである。松濤園裏の酒匂川の川口で七月下旬の上潮で釣れる定来のセイゴと同じ形である。
 前橋附近の人達は、海の魚がここ迄来ようとは思わないから、鰓蓋に髪剃がついて居たり、背鰭に針があったりして、馬鹿に物騒な魚が網に入るものだと驚くのである。
 銚子口から前橋迄、川について遡れば六十里は充分にある。その長い流程を遡って来ても、僅かに五、六寸位に育つのみである。そうすると、彼等鱸の子は余程早い頃に、川口を離れたのであろうと考えられる。
 この小鱸が鈎に掛っ…

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