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寒鮠の記
かんばやのき
作品ID50588
著者佐藤 垢石
文字遣い新字旧仮名
底本 「垢石釣游記」 二見書房
1977(昭和52)年7月20日
入力者門田裕志
校正者きゅうり
公開 / 更新2020-07-04 / 2020-06-27
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 謹啓、余寒きびしくと申し上げ度く存じ候へ共、今年程暖かき例無之、お互に凌ぎよき春日に候。
 さればにや、この頃鮒のみには無之冬寄致せし鮠、鰔などまでが俄かに巣離れの動作を見せ申しそぞろに釣意をそそられ、釣場の風景を眼に描き申候。堪まり兼ねて一昨日出発富士川に寒鮠釣を志し車中の人と相成候。下部温泉から約一里、屏風岩下流の大瀞は例年鮠の冬寄出来申す所に有之、彼の地の通信によれば今年も、崖上より眺めると黒き一団をなし居るとの由にて、勇み立ちたる次第に候。

 釣場に臨み、うれしさこみ上げ申候。胴に調子を持つた穂先たわわの二間半竿、磨きテグス一厘柄の道綸、八毛柄の鈎素。細長き唐子浮木がスイと水面に頭を没した途端、軽く鈎合せ気味に竿先を上げれば、水の中層を縦横に走つて人の釣意を迎へもてあそぶが如くに候。

 貫出でた尻鰭の緑、青銀色の鱗から抜け出した肌の紫、碧空のやうにすんだ円い眼。寒水にすむ鮠は、まことに清麗類なき美装の持主に御座候。対岸を望めば、白根三山が太平洋へ向つて長い裾をのばす連山に有之、はや中腹の雑林に春かすみ立ち申し候。点々と枯田の果にある村々にも春来たりしかと見え、環境の美しさにも一入清快味を増し申候。

 夕刻までに生々せる魚は魚籠の口近くまで釣り溜り候。この鮮味を携へ帰り、妻の割烹に晩酌の膳に向ふを思へば旅にいて、また心賑やかに御座候。

 本日は富士川より引き返し新釣場として近頃紹介され申候富士南麓浮島沼に近き沼川に、やはり寒鮠を試み申候。雲なき雪峰、芒原の間を流るる小川に姿をさらして、水巴起すを惜しくさへ感じ候。餌は小さい紅蛆に御座候。場所は理想的に有之、日なみも申分無之候へ共本日は、如何なる訳にや鮠の餌づき悪しく、成績まことに不良に御座候。僅かに十四、五尾を得たるのみにて、昨日のうれしさに引きかへ苦笑の外これなく候ひし。

 我腕の未熟を思へば、をかしき事にて憾み遺さず候。
 明日は久し振りにて興津川へ参り早春の山女魚釣に親しむ予定に御座候が、釣況一筆載せて貴兄の釣意をさそひ度く手紙致したる次第に御座候。敬具。
――春立つ日東海道鈴川の宿にて――



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