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鯨を釣る
くじらをつる
作品ID50589
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「垢石釣游記」 二見書房
1977(昭和52)年7月20日
入力者門田裕志
校正者塚本由紀
公開 / 更新2015-09-14 / 2015-05-25
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 僕は、大概の大物釣には経験を持っている。大鯛、ブリ、石鯛、マグロ、鮫などの猛勇も、僕の手に掛っては何れも降参しているのだが、まだ鯨だけは退治したことがない。
 釣に趣味を持つからには、いま地球上に生存する最も大きな動物を、釣って見たいと思うのだ。一番大きな動物は鯨だけれど、僕の腕が冴えていたところで、この鯨だけは釣るわけには参るまい、と、多年鯨捕りの熱望を持ちながら諦めて来たのである。
 ところが最近、極洋捕鯨会社の秘書課長村田光敬氏から
「君、鯨捕りを見物に行かないか」
 と、誘われた。
「頼む」
 時節到来、僕は二つ返事で答えた。
 上野駅をたったのが三日。四日の正午頃日本の東の果が太平洋へ突き出している宮城県の牡鹿半島の突端にある鮎川港へ着いた。鮎川の町へ入ると異様の臭気が鼻を衝く。家も、道も、川、庭も、すれちがう人間まで馬鹿に臭い。
「何だか、ひどく臭いですな」
「これが鮎川港の特徴なんで――鮎川は鯨で生活している町なんだから、あらゆるものに鯨の匂いがしみ込んでいる」
 と、村田氏は平気でいる。
「鼻が曲りそうだ――」
 僕は、とうとう悲鳴をあげた。
「馴れれば大したことはない」
 村田氏は、僕の悲鳴などてんで問題にしないのだ。僕は、ある一軒の広い庭を覗いた。ところが、その庭一杯に鯨の肉、臓腑、骨などの細かく刻んだのを乾してある。それに天陽が当って腐って、陽炎が上って窒息しそうな異臭を放ったのだ。鮎川の町といえば海の清風そよそよと涼味たっぷりのところと想像して来たのだが――。
「鮎川の町民にとっては、この匂いは香水以上なんですよ」
「なるほど――鯨からとれる龍涎香は香水のもとだといいますからね」
 それから、鮎川港に臨んだ極洋捕鯨会社の作業所へ案内してくれた。作業場へ小舟で近づくと、海の水は血色で真っ赤になっている。
 作業場の桟橋に一頭の鯨が横づけになっている。作業場の浜窪主任が案内役に立って
「これは、今朝とった四頭のうちの一頭ですが、長さが四十七尺ある鰮鯨です」
 と、説明する。なる程大きなものだ。桟橋を上って作業場の広い板の間へ行くと、これも五十尺に近い鰮鯨が、作業員が持っているなぎなたのような庖丁で、肉、骨、腸と解剖されている。まるで、山を切り崩しているような作業だ。
 さらに奥の方へ進んで行くと、真っ黒い大きな貨車みたいなものが二つ並んでいる。
「これはなんですか」
「これも、今朝とれた二頭の抹香鯨の頭だけです」
「うわ……」
 鯨は大きいものだと聞いてはきたが、頭だけでも我々が住んでいる家ほどもある。
「この一つの頭のなかには、油が石油罐に二百四、五十杯も入っているでしょう。一頭の抹香鯨の油、皮、肉、臓腑などを計算すると、ざっと一万円位にはなりましょうかね」
「驚いた」
「こんなのは大したことはありませんよ。白長鬚鯨の大きいのに…

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