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釣場の研究
つりばのけんきゅう
作品ID50603
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「垢石釣游記」 二見書房
1977(昭和52)年7月20日
入力者門田裕志
校正者塚本由紀
公開 / 更新2015-09-28 / 2015-05-25
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 釣人の気質にはいろいろある。けれど大別すると、大量に魚を釣りたい、その目的のためには他人の迷惑も顧みない、という人と、釣れぬでもよし、若し釣れれば運がいいのだ、一日水に親しんだだけで何の不足も感じない、という気持の人との二種になるようである。いずれもその人の性から来るものであるからどうということはないが、私は後者の気分を尊び度いと思う。とはいうものの、沢山魚が釣れた時は、ほんとうにうれしい。心が賑やかになる。先年の秋に鴨居へ行ったところ、大そう釣れた。大部分船頭が釣ったようなものではあったが、釣れないよりよかったのである。ボーッと頭に何もない心境になれるところに、釣の徳があるのではないかと考える。ここに、釣り趣味が人の心に食い入って行ったゆえんがある。鴨居というのは、三浦半島浦賀から半里ばかりの、東へ向って上総へ対している小さな漁村である。この漁村に英太郎という漁師がいる。年は四十二、三、実直な顔をしている。名人の域に達している男で、この男の知っている根(釣場)は三十カ所近い。その中には、誰も知らない根があって、英太郎はこれを図面に書いて秘蔵している。であるから、他のいずれの漁師も不漁でこぼしている時でも、英太郎には不漁がない。いつも魚槽が一杯になる、これは不断の努力の賜である、常に根の研究をしている。漫然と綸を垂れているのではない。精根をかたむけて釣場の開拓に努めているのである。
 この舟に乗った釣人は誰でも英太郎の態度の真面目さに感心する。私も、この舟に乗ったのであるが、果して彼が名人であるのを知ることが出来た。奥利根川の岩本に茂市という釣聖がいる。鮎の友釣をやらせれば、あの長い利根川の沿岸に、茂市だけの腕を持っている人がないのである。これも偶然に釣が上手になったのではない、釣場に対する研究心が、人にまさっているからである。朝竿をかついで家を出てから、夕方川から上って来るまで彼の行動は一つのムダもない。岩本駅を中心とした上下一里位の利根川なら、底石一つが動いても茂市はそれを知っている。子供のときから川に育ち、親譲りの釣人であるから、川に明るいのは当然であるが、他の釣人の真似することのできない眼識と腕前を持っているのは、何か特別の理由がなければならないのである。それは、彼が釣を理論で行かねばならないとしているからだ。親譲りの伝統で、季節により時間により、茂市の身体が無意識的にその時の最もよき条件に適合した場所へ運ばれるのであろうと見られるが、ひそかに彼の行動を注意してみると、彼は何の瀬にどういう底石があるか、その石に何月の何日頃から新鮮な水垢がつくかということに常に眼をつけている。そして鮎の好む石々を陸上にあるもののように知悉していて、いつも他に先んじていい釣場を占める。釣人の心境は、ぼんやりしているところに妙味があるのであるが、釣場に対する神経は常に働…

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