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弟子自慢
でしじまん
作品ID50604
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「垢石釣游記」 二見書房
1977(昭和52)年7月20日
入力者門田裕志
校正者塚本由紀
公開 / 更新2015-08-29 / 2015-08-01
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私に、どこかうまい釣場へ連れて行ってくれと申し込んでくる人があると、私はその人を自分の弟子の数のうちへ勘定する。だから私に師匠顔されるのを嫌だと思う人は、私のところへ同行を申し込んでこない方がいい。
 しかし、そうであるからと言って、無闇に私は先生顔をする訳ではないのである。君、僕は人に釣方を教えたり、うまい釣場へ案内したりする程釣は上手じゃないのだよ、誤解しちゃ困る。釣は一生の研究だ。これから、一緒に研究しようじゃないかと謙遜するのが常である。だが、うまく教え込んでやろうと思うのだ。そして、また一人弟子が殖えたかと思って、内心ほくほくする。
 一昨年九月のはじめに一人弟子がふえた。その新弟子は、小説家の井伏鱒二君である。私が、明日の夜汽車で甲州の富士川へ鮎の友釣に行こうと考えて、竿や背負袋などの整理をしていると久し振りで井伏君から手紙がきた。
 文面に、自分はこの夏から鮎釣をはじめたけれど、それは要するに自己流であるから、まだその妙味を会得できない。ところで、これから正式に鮎釣の法を習いたいから、機会があったら、どこかうまい釣場へ連れて行って貰い度いと書いてある。
 一体、釣の弟子には人の想像以上に、手がかかるものがある。道綸を、鈎から錘ぐるみ引っ切られたから、仕掛を新らしく拵えて呉れ。鈎が、底石に引っ掛ったから、取ってくれ。餌の蚯蚓を指でさわるのは気持が悪いから、鈎先へつけてくれ、のと随分と煩わしいものだ。だから、自分一人で静かに釣を楽しもうと言う人は、同伴の申し込みがあると、体よくことわるのを常とするものだ。
 殊に、鮎の友釣の手ほどきなどは、余程手数がかかる。教える方に根気がないと、折角の新弟子に興を催させるまで導くことができないものであるから、私も友釣入門の申し込みがあると、いつも慎重にしてきた。けれど、井伏君の人柄は釣人風にできている。あの人の小説や随筆を読むと、どことなく超脱的なところがある。あの人ならば、教え甲斐があると思った。
 そこで私は、井伏君の手紙を読み終ると直ぐ、自分は明夜のおそい汽車で富士川へ行くことになっている。いい機会だから、若し都合がよかったら、東京駅へやってこないか、と速達で書き送ったのである。
 もっとも、井伏君と私と二人で釣に行くのはこれがはじめてではない。八、九年前の真夏に、甲州北巨摩郡増富村のラジューム温泉へ二人で旅したことがある。そのとき私は、山女魚釣の竿や道具を持って行ったから、金峰山の中腹から流れ落ちる塩川を漁ってみた。そこで私は、井伏君に餌とりをやって貰ったのだ。井伏君は上背が低い上に、小肥りに肥って色白であるから、豚の子のようにからだの恰好がころころとしている。それが大きなお尻を宙へ向けて川瀬のなかで四ツン這いとなり、餌の川虫をとるために底石を剥がし這いまわるのであったから、その気の毒なほどおかしな眺め…

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