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教育の目的
きょういくのもくてき |
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作品ID | 50670 |
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著者 | 新渡戸 稲造 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「新渡戸稲造論集」 岩波文庫、岩波書店 2007(平成19)年5月16日 |
入力者 | 田中哲郎 |
校正者 | ゆうき |
公開 / 更新 | 2010-04-27 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 42 ページ(500字/頁で計算) |
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今日世界各国の人の学問の目的とする所には種々あるが、普通一般最も広く世界に行われている目的は、各自の職業に能く上達するにある。マア職業教育とでも言おうか。あるいはモウ一層狭くいうと、実業教育というのが、能くその趣意を貫いているようである。子弟を教育するその目的は、先ず十中の七、八まで職業を求むるに在る。殊に日本に於いては職業を得るために教育を受くる者が多い、百中の九十九まではそうかと思われる。昔はどうであったか知らぬが、近頃は各国共にこの目的を以て、教育の大目的としているようである、殊に独逸などでは、最もそういう風である。
近来亜米利加の教育法はどうであるか。亜米利加は何のために大いに普通教育を盛んにしているかというと、即ち良国民を拵えることがその目的である、能く国法を遵奉する国民を造るのである。大工左官をさせたならば独逸人に負けるかも知れぬ。大根を作り、薯を作らしたならば、愛蘭の百姓に及ばぬかも知れぬが、先ず国家の組織あるいは公益ということを知り、大統領を選ぶときにも、村長を選ぶ時にも、必ず不正不潔な行為をしてはならぬ、国家のため、一地方のためだという大きな考を以て、投票するような国民を養成したいというのである。彼の料理屋で御馳走になった御礼に投票するのとは、少し違うようだ。仏蘭西人は少しく米国人と異っている。同じ共和国ではあるかなれども、国民が投票する時に、亜米利加ほど合理的にすることはあまり聞かない。仏蘭西人は何のために子弟に教育を施すかというと、先ずお役人にしたい、月給取にしたいというのである。十歳から二十歳まで教育すると、毎月幾許の金を要する。合計十ヶ年間に幾千法の金がいる。これだけの金を銀行に預けて置けば、年五朱として何程の利殖になる。けれども都合好く卒業をして、文官試験にでも及第すれば、何程の俸給が取れる。あるいは何々教師の免状を取れば、これくらいの月給に有り付くというので、先ず算盤をせせくって、計算した上で教育する。これは職業を求むるためなのである。否職業を求むるというよりも、位地を求むるためなのである。
これに類して独逸の教育法も、職業教育とか実業教育とかを主とするのである。独逸語のヴィルトシャフトリッヘ、アインハイト(Wirtschaftliche Einheit)、英語のエコノミック、ユニット(Economic Unit)、即ち「経済上の単位」を能く有効にしようというのが目的である。即ち一国一市をして、なるたけ生産的に発達せしむるには、どうしたら宜いか、如何にせば最も国家経済のためになるかと、経済から割出した議論を立てて来ると、いわゆる社会経済とか国家経済とかいって、国の生産を興さねばならぬということになる。殖産を盛んにしたならば、即ちその国その市の発達が一番に能く出来る、それがためには、先ず経済的の単位として子弟の教育をするに帰…