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楊雄と法言
ようゆうとほうげん
作品ID50703
著者狩野 直喜
文字遣い旧字旧仮名
底本 「支那学文藪」 みすず書房
1973(昭和48)年4月2日
初出「支那学 第三卷第六號」1923(大正12)8月
入力者はまなかひとし
校正者染川隆俊
公開 / 更新2011-06-05 / 2014-09-16
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 從來漢土儒林の人を觀るに、漢の楊雄程其人物學問に對する評價の一致せぬものはない。一方に於て、孟子以後の第一人と尊崇さるゝかと思へば、また他方では利祿を貪り、權勢に阿り、全く道義羞惡の念なき、人格陋劣のしれもので、其學術亦た淺薄にして見るに足らずと、一概に罵詈をあびせかけられて居る。元來何れの國、何れの時代でも、また帝王政治家學者たるとに論なく、其生時には毀譽相半したものが、どうかの調子で、其人既に沒し、年代を去ること遠くなればなる程、惡い方面が全く忘却されて、善い方面計遺つて、其人を譽る一方となるかと思へば、又た反對に善い方面が年を逐うて忘却され、惡い方面が殘り、獨り殘るのみか、何んでも惡いことゝなると、其人の記臆の上に積重ねらるゝものがある。私が今申述べんとする楊雄の如きは、葢し後者に屬すといふべきである。漢書の中に雄が爲めに傳を立てた班固の考は、如何であつたかといふに、班固とても決して雄を以て完人とした譯ではない。其傳を讀んでゆくと、露骨に雄の惡口をきいては居らぬが、其中に微辭があつて、或點に於て不滿足であつたことは首肯せらるゝが、これと同時に班固とても、雄に對し十分に大儒としての尊敬を拂つて居たことは明である。其後、漢魏から唐までは、どちらかといへば、雄を譽むるものゝ方が多かつた。殊に韓愈の如きは、孟子の事を述べた後に、『晩得二楊雄書一。益尊二信孟氏一。因二雄書一而孟氏益尊。則雄者亦聖人之徒歟。』といひ『孟氏醇乎醇者也。荀與レ楊大醇而小疵。』とまで推稱して居る(讀荀子)。其徒張籍も亦た韓愈に與へた書中に、『執事聰明。文章與二孟軻楊雄一相若。』とか、『後二軻之世一。發二明其學一者。楊雄之徒。咸自作レ書。』などいつて、孟子と並稱して居る(韓文十四張籍遺公第一二書)。柳宗元は、韓愈程には尊ばなかつた樣にも見ゆるが、それでも、法言の注までして居る所から考ふると之を輕視せなかつた事は分る。それから宋となると、かの方正謹嚴の君子司馬光の如きは、尤も楊雄の人物を惡まなくてはならぬ譯であるが、之に反して韓愈が『荀與楊大醇而小疵』の評語に多少不平を抱くまでに尊信し、其太玄法言に注をしたり、又た通鑑の記事中にも、雄の穢迹として傳へられたる點は、すべて刪つて書かなかつた。同時王安石・曾鞏などの學者も楊雄の爲めに辯護の辭をなして居るが、概して宋の時代となると、楊雄を惡くいふものも亦多くなつて來た。殊に義利の別を明にし、綱常名節を重ずる程朱學派にあつては、口を極めて之を詈り、殆んど人間に齒せず、朱子の綱目には『莽大夫楊雄死』とかゝれ、後世曲學阿世の俗儒が出ると、楊雄は必ず引合に出さるゝ事に極まつて居る。或人の説に、宋儒が雄を惡樣にいふのは其人物論からでなく、實は雄の性論が程朱に同からざる故である。宋儒は門戸の見が強い。楊雄に「性に善惡混ずるの説」あり、而してそれが宋儒の性論と…

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