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国楽を振興すべきの説
こくがくをしんこうすべきのせつ |
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作品ID | 50719 |
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著者 | 神田 孝平 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「明六雑誌(中)〔全3冊〕」 岩波文庫、岩波書店 2008(平成20)年6月17日 |
初出 | 「明六雜誌 第十八號」明六社、1874(明治7)年10月25日 |
入力者 | 田中哲郎 |
校正者 | きゅうり |
公開 / 更新 | 2020-07-05 / 2021-08-29 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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方今我邦、改正・振興すべきものはなはだ多し。音楽・歌謡・戯劇のごときもその一なり。このこと、急務にあらざるに似たりといえども、にわかに弁ずべからざるものなれば、早く手を下さざれば、その全成を期しがたし。
けだし音律の拙き、いまだ我邦より、はなはだしきはあらず。古代、唐楽を伝うといえども、わずかにその譜に止まり、その楽章を伝えず。恐くは語音通ぜず、意義感ぜざるをもって、伝うといえども、すみやかに亡びしならん。
その後白拍子、猿楽などあり。不全の楽にはあれど、邦人の作るところなるをもって人心に適するは、はるかに唐楽に優れりとす。
慶元以還、民間俗楽種々起り、楽器もまた増加し、古昔に比すればいっそう進みたりというべし。しかれども、おおむね卑俚猥褻にして、士君子の玩に適せず。これをもって方今士君子、唐楽・猿楽にては面白からず、俗楽は卑俚に堪えずとして、ほとんど楽の一事を放擲するに至る。これまた惜むべきなり。
今これを振興せんには、第一、音律の学を講ずべし。音律の学は格致の学に基き、別に一課をなし、音に従て譜を作り、譜を案じて調をなすの法なり。この法、支那には、ほぼこれあり。欧米諸国には、ほとんど精妙を極む。ただ我邦にいまだ開けず。今これを講ずるは、わが欠を補うの道なり。
楽器は和漢・欧亜を論ぜず、もっともわが用に便なるものを択むを可とす。
楽章に至ては、外国のものは用に適せず。内国に行わるるものまた、いまだ適当と覚しきものなし。やむを得ずんば、観世なり、宝生なり、竹本なり、歌沢なり、しばらく現今衆心の趨くところにしたがい、やや取捨を加え、音節を改めば可ならん。
とうてい我邦の楽章には韻※[#「足へん+却」、U+8E0B、151-7]なきをもって、聴く者をしておおいに感発せしむるに足らず。衆人追々支那欧亜の唱歌を聴き、韻※[#「足へん+却」、U+8E0B、151-9]に一段の妙趣あることを知り得ば、その趣に傚い、邦語をもって新曲を製すること、また難からざるべし。
余かつて謂う、外国技芸、採用すべからざるものなし。ただに唱歌の法、外国のまま用うべからず。新曲の製の止むべからざるゆえんなり。
戯劇もまたいっそう改正せざるべからず。方今の芝居は婬に過ぎ、哀に過ぎ、誕に過ぎ、濃に過ぎ、人心を害うこと多し。裁制を加えざるべからず。
かつ我邦の俳優は演じて唱せず。外国俳優のごとく、かつ演じかつ唱ずる方、趣あるに似たり。
猿楽の狂言および俗間の茶番狂言なるもの体裁さらに善し。今一歩を進め、猥雑に流れず時情に濶らず、滑稽の中に諷刺を寓し、時弊を譏諫することなどあらば、世の益となることまた少なからず。
外国にては高名の文人ら、歌章を作り、梨園に附し、脚色を設け、演ぜしむることあるよし。芸園の雅遊というべし。
さて劇場の規模またおおいに興張せざるべからず。大略…