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今世風の教育
こんせいふうのきょういく
作品ID50726
著者新渡戸 稲造
文字遣い新字新仮名
底本 「新渡戸稲造論集」 岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年5月16日
初出「青年界 二巻一〇号」金港堂書籍、1903(明治36)年8月1日
入力者田中哲郎
校正者ゆうき
公開 / 更新2010-07-29 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私が始終青年のために憂えていることの一つは、概して日本の青年は薄ッぺらであるということ。書物を読むにいささか文字を頭に入れるというだけに止まって、その文の精神を解することを力めないし、甚しきはその意味さえも理解しないでいる者が多い。その癖に大きな書物を読みたがる。難かしい書物を手にしている。この点に於ては、外国殊に亜米利加だの欧羅巴の書生に較べて、日本書生の極く悪い癖であって、ちょっと話振を聞くと、高尚なような、また深いように聞えるけれども、モウ三分か五分話していると、己れ自からが意味を解さないで話しているものだから、直ぐに襤褸が出て、薄ッぺらな所が顕われる。これは青年のみならず教師が悪いのであって、教師がややもすれば半解であって、教えることを自ら消化していない。その癖大きな問題を担ぎ出す、あるいは大きな書物を引照している。
 ある時中学校に行ったところが、一人の教員が文明史を教えているというから文明史はどんな書物に依てやっておられるか、ギゾーの文明史でも御用いかと問うた、その教師がギゾーのは古くて駄目ですから私が講義をしておりますと。ギゾーの古い事は言うまでもないが。ギゾーがかの錯雑した欧羅巴の歴史の事実を巧く綾に纂んで概括した、あの力というものは非常なものである。その智識の博いことと、その考の慧敏なことと、その論鉾の巧みなことと、その綜合的の方法、などの力に富んでいることは驚くべきものであって、今でも繰返して読むだけの価値はたしかにあるものである。それをギゾーが古いからといって、自分が新に作るというような学者は、日本には未だないと思う。中学は勿論大学にもないと思う。ところがトンダ大風呂敷を開げるのが先ず今日の常態である。スヰントンの万国史は中学などで使っているが、あれさえ始から終までスッカリ分る中学の教師はないと思う。そういう先生に就てやるのだから、書生は同じ方向に進んで、何事も一時の間に合せであって、精々能く行って、試験に及第すればよい位である。学理などを攻究するという考えよりも、試験及第が第一になっている故精神が大変に野卑になって来る。今後少し頭脳の良い書生は、あるいは小理窟位饒舌れるようになるかも知れないが、その精神の卑しいことは一層卑しくなるだろうと心配している。
 私の考えるところは試験の成績は悪くてもよい。同級生に後れてもよい。人の物笑いになってもよい。落着いて自分の心を練って、学問することを考えてもらいたい。人生は競争だとか、戦争の如きものだとか、瀕りに言う。勿論そうである。職業に就くにも御互に争ってやる、学校にいる時でもお互に点を余計に取ろうと思って競争する。競争には違いない。戦争には違いない。けれどもそれは小競合の競争であって小兵の戦争であって、匹夫の争というものである。少しく量見を大きくすれば、試験に落第したというても、同僚の者に貴…

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