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教門論疑問
きょうもんろんぎもん
著者柏原 孝章
文字遣い新字新仮名
底本 「明六雑誌(下)〔全3冊〕」 岩波文庫、岩波書店
2009(平成21)年8月18日
初出第一「明六雜誌 第二十九號」明六社、1875(明治8)年2月26日<br>第二「明六雜誌 第三十號」明六社、1875(明治8)年3月8日<br>第三「明六雑誌 第三十一號」明六社、1875(明治8)年3月15日
入力者田中哲郎
校正者岡村和彦
公開 / 更新2020-05-06 / 2020-04-29
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

○教門論疑問 第一

 余このごろ西先生の教門論を読に、その文真切、その義奥妙、反復数回発明するところ少々ならず。しかして窃おもう、その立論の旨おおいに古説と同じからざるあるをもって、看者胸中の先入を一洗するにあらずんば、おそらくはその真意の向うところを認めざらんことを。よりて、余いま固陋を省ず、その了解し難きゆえんの意を摂録し、あえて先生に質す。もし先生の垂教を忝せば、あに ただ[#「あに ただ」はママ]不佞の幸のみならんや。
 およそ政を行い教を布く、まず信を人に得るにあり。信ぜられてしかるのちに令行れ、教立つ。いまだ信ぜられずんば、令して行れず、戒め守られざるなり。これを信ぜしむるの道同じからずといえども、人をして疑わしめざるに至ては、すなわち一なり。それすでに疑わざるに及んでは、水火をも踏ましむべく、木石をも拝せしむべし。けだし信の難きにあらず、これを信ぜしむるを難しとす。すなわち徳をもって信を得る者あり、術をもって信を売る者あり、人のこれを信ずるや、いまだかつて知らずして信ずる者あらず。それこれを信ずるのはじめ、目これを見、耳これを聞、心これを察し、その信ずべきを知て、しかるのちはじめて疑わざるに至る。
 昔し洋人はじめて印度に航する者あり。王に謂て曰く、臣が国、冬日あり、水凍結して晶のごとく、鏡のごとく、堅きこと石のごとしと。王己を詐るとなしてこれを殺せり。王いまだかつて見ず、いまだかつて聞ず、またいまだかつてこれを察せず。王のこれを殺す、また宜なり。ゆえに自ら省て知らずんば、何によりて自ら信ぜん。自ら信ぜずんば、なんぞよく人を信ぜしめん。古人身を殺して信を証せし者、少なからず。しかれどもその成功の跡を見れば、あたかもはじめより知らずして信ずる者のごときあり。いわゆる知らず知らず帝の則に従う、これなり。これ、これを化という。そのすでに化するに及んでは、人これを如何ともすべからざるものなり。しかれども信の心に根する、深きものあり、浅きものあり。深きものは動し難く、浅きものは揺し易し。いま動し難きものにつきてこれを蕩揺せば、幹折れ、枝摧て、その根いよいよ蔓せん。有力者といえどもついにこれを抜くあたわざるべし。もしまずその浅きものを選てこれを芟艾せば、深きものも必ず孤立すること能わず。その勢ついに自ら仆れん。けだし釈迦は波羅門を破り、路得は天主教を新にす。わが邦の沙門もまたよく崇を興せり。これによりてこれを見れば、信あに遷すべからざらんや。
 西洋諸国たえて鄙野の教門なし。ここをもって人の好むところに任するもまた可ならん。かつ人々識高く、学博し。あに木石虫獣を拝する者あらんや。わが邦はすなわち否ず。愚夫愚婦の邪教に沈溺、惑乱する、言うに堪えざるものあり。しかして政府、あにこれを問わざるべけんや。われ聞く、国の王者あるは、なお家の父母あるがごとし。四海の…

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