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こい
作品ID5074
著者斎藤 茂吉
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆32 魚」 作品社
1985(昭和60)年6月25日
入力者門田裕志
校正者氷魚、多羅尾伴内
公開 / 更新2004-01-18 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 大石田に来てから、最上川に大きな鯉が居るといふ話を一再ならず聞いた。今は大石田町に編入されたが、今宿(いましゆく)といふ部落の出はづれで、トンネルのあるところの山を切開いた新道、つまり従来ヘグリと云つてゐた断崖に沿うて流れる最上川の底は堅い巌石の層で、その地方の人のいふバンから出来て居る。平たい巌のことをバンと云ふらしいが、そのバンが深い洞窟となつてゐる箇処があつて、其処が大きな鯉群の隠場処だといふ話も聞いた。夏で最上川の水の減少した時でも、そのあたりの深さは四丈即ち四十尺或はそれ以上あるといふことである。土地の人某が縄をさげて計つた結果がさうであつた。
 最上川には処々に鯉群が居るけれども、鯉の話をするものは先づ其処のことを話すのが常である。川前といふ村から大石田へ移転して来た、井刈安蔵といふ人が居た。普段は田舎骨董などを売買してゐるが、魚を捕へることが好きで、またその方の巧者である。ある日楯岡へ行つた帰りに袖崎駅で下車して大石田へ向つて歩いて来ると、ヘグリに近い小菅村に沿うた最上川に鯉の群が遊泳してゐるやうな気配を感じた。これは所謂『勘』といふ奴で、波だつ紋の具合で直覚したといふのである。安蔵は大石田の家に帰り、昼食を早々に済ませて、投網舟で行つてみたところが、果して鯉がゐた。二尺七八寸ぐらゐの奴が四尾ばかり先行し、同じぐらゐ大きい七八尾がそれにつづいてゐた。安蔵がいきほひ込んで網を打つたところが、手答があつて、実に大きいのが一尾とれた。あとは前に言つた洞窟に隠れてしまつたといふのである。
『さうだなあ、五尺はあつたな、十五貫はあつたべな』などと安蔵は談つたさうである。
 友人からこの話を聞いたとき、幾分安蔵の話に法螺も交つてゐるやうな気もした。私はもうこの年になつたので、人の話をその儘受納れない場合もちよいちよいあるやうになり、また今宿のヘグリあたりには屡[#挿絵]散歩もして、底の見えるまで澄んだ最上川を見おろすことがあつても、つひぞ鯉の姿を見たことがなかつたからである。
 然るに友人は、安蔵のこの話に継いで、去年の六月ごろ、三尺に余る真鯉を売りに来たが、余り大きいので却つて気味悪がつて買はなかつたが、胴のところは八寸ぐらゐはあつたらう。そのとき、『酒一升に、金五円呉れ』と売りに来たものが云つたといふことをも話した。この友人は酒を醸す人で、法螺など吹く人ではなかつた。
 又今年になつてから別な友人が、やはりヘグリあたりで捕へたといふ真鯉で、二尺七八寸あるのを売りに来てそれを買つた話をした。一日ばかり泉水に入れて置いたが、弱つたので三軒の親類に分けて食べた。二尺七寸の鯉といへば実物は非常に大きく感じるさうである。又余り大きい鯉は味がわるいなどといふ人もあるが、肉が緊まつてなかなかの美味であつたさうである。さうして見れば、最上川、特にヘグリあたりの最上川…

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