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コロポックル説の誤謬を論ず(下)
コロポックルせつのごびゅうをろんず(げ)
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「歴史地理 第十二卷第六號」 日本歴史地理學會
1908(明治41)12月1日
初出「歴史地理 第十二卷第六號」日本歴史地理學會、1908(明治41)年12月1日
入力者しだひろし
校正者フクポー
公開 / 更新2018-09-03 / 2018-08-28
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

四 三派のアイヌ皆石器土器を使用せり

北千島アイヌは、其祖先が石器土器を使用せりと語るのみならず、玻璃瓶の破片を以て、石器を製造せんとせし事實も發見せられて、其年代も略ほ推察し得べきを以て、其石器土器の使用に關しては、何人も疑を容れずと雖も、樺太アイヌ、本島アイヌに就ては、議論紛々また決着する所を見ず、然れども是れ亦解決し得べきものなり。
先づ樺太イアヌに[#「イアヌに」はママ]就て言はんに、其土器に關しては、北蝦夷圖説(文化五年六年間宮林藏の調査に成る)、唐太日記(安政元年鈴木重尚の日記に松浦竹四郎の書加へをなせるもの)に記載あり、殊に北蝦夷圖説には、「地夷製する所の土鍋あり、大抵の大さ徑六七寸にして、形圖の如く兩邊の握耳は鍋の内邊に設くトナリを以て弦となし、火の燒切せんことを恐れて、樺木皮を纒ふこと圖の如し」と記し、當時アイヌが土鍋を使用せること明かなるも、唯其名をカムイシユ(神鍋)と稱するより坪井博士は疑ひて、是れ當時使用せるものにあらず、古人の使用せしものならんと曲解し、從て鳥居龍藏氏の如きも、北蝦夷圖説の記事を以て、樺太アイヌが土器を使用せる證據となすに躊躇せり、然れども予の調査によれば、是より先き箱舘奉行たりし羽太安藝守正養の休明光記附録に寛政十一年(西暦一七九九年)迄、樺太に勤務越年せし番人太郎吉、卯右衛行兩人に唐太山丹オロッコの事を尋問せし書留を載せたり、其中に曰く
鍋は夷人(樺太アイヌ)持たさるものなく、へな土を以て拵へ素燒にして魚類を煮ると云ふ
是に由て之を觀れば、當時樺太アイヌの土器を使用せしこと明かなり、但前文の末尾に「云ふ」の二字あるより、又或は疑を挿む人あるやも知るべからずと雖も、此「云ふ」の二字は該書留の一節毎に皆之を記しあれば、尋問せし官吏の附加へたるものにして、太郎吉等は「魚類を[#挿絵]る」と判然語りたるものなり。
樺太アイヌが石器を使用せる事に就ては、土器の如く明瞭ならずと雖も、其石製烟管を使用せしことは、松浦竹四郎の日誌に記し、又明治の初樺太に在勤せし判官岡本監輔氏は、東海岸にてアイヌの使用せる石製烟管を下僚の貰ひ來りしを見たりと予に語られたり、又意外の發見は、予が知る某氏(暫く姓名を秘す)が、石狩國對雁に於て、樺太より移住せるアイヌの墳墓を發掘して、其内より金屬製の刀、鎗、鍋、耳環等と共に土鍋、石斧、石鑿を得たる事なり、此墓は蓋し移住後間もなく死亡せし身分あるアイヌの墳墓なるか、生前使用せし物、及び貴重せし品を添へて葬るは彼等の風習なれば、右の土器石器は彼が祖先の使用したるもの、若くは其或るものは彼自ら使用せしものと想像するを得べし、トンチの遺物を添て葬りしとは、考ふること能はざるなり、又近時樺太廳員小笠原鍵氏の通信によれば、樺太大泊の丘陵に二個のチャシと、數多の竪穴、及び墳墓と相並びて一團をなせるアイヌ遺跡ありて…

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