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イギリス海岸
イギリスかいがん |
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作品ID | 50766 |
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著者 | 宮沢 賢治 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「イーハトーボ農学校の春」 角川文庫、角川書店 1996(平成8)年3月25日 |
入力者 | ゆうき |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2010-10-24 / 2023-07-08 |
長さの目安 | 約 22 ページ(500字/頁で計算) |
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夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処がありました。
それは本とうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上川の西岸でした。東の仙人峠から、遠野を通り土沢を過ぎ、北上山地を横截って来る冷たい猿ヶ石川の、北上川への落合から、少し下流の西岸でした。
イギリス海岸には、青白い凝灰質の泥岩が、川に沿ってずいぶん広く露出し、その南のはじに立ちますと、北のはずれに居る人は、小指の先よりもっと小さく見えました。
殊にその泥岩層は、川の水の増すたんび、奇麗に洗われるものですから、何とも云えず青白くさっぱりしていました。
所々には、水増しの時できた小さな壺穴の痕や、またそれがいくつも続いた浅い溝、それから亜炭のかけらだの、枯れた蘆きれだのが、一列にならんでいて、前の水増しの時にどこまで水が上ったかもわかるのでした。
日が強く照るときは岩は乾いてまっ白に見え、たて横に走ったひび割れもあり、大きな帽子を冠ってその上をうつむいて歩くなら、影法師は黒く落ちましたし、全くもうイギリスあたりの白堊の海岸を歩いているような気がするのでした。
町の小学校でも石の巻の近くの海岸に十五日も生徒を連れて行きましたし、隣りの女学校でも臨海学校をはじめていました。
けれども私たちの学校ではそれはできなかったのです。ですから、生れるから北上の河谷の上流の方にばかり居た私たちにとっては、どうしてもその白い泥岩層をイギリス海岸と呼びたかったのです。
それに実際そこを海岸と呼ぶことは、無法なことではなかったのです。なぜならそこは第三紀と呼ばれる地質時代の終り頃、たしかにたびたび海の渚だったからでした。その証拠には、第一にその泥岩は、東の北上山地のへりから、西の中央分水嶺の麓まで、一枚の板のようになってずうっとひろがっていました。ただその大部分がその上に積った洪積の赤砂利や[#挿絵]※[#「土へん+母」、57-14]、それから沖積の砂や粘土や何かに被われて見えないだけのはなしでした。それはあちこちの川の岸や崖の脚には、きっとこの泥岩が顔を出しているのでもわかりましたし、また所々で掘り抜き井戸を穿ったりしますと、じきこの泥岩層にぶっつかるのでもしれました。
第二に、この泥岩は、粘土と火山灰とまじったもので、しかもその大部分は静かな水の中で沈んだものなことは明らかでした。たとえばその岩には沈んでできた縞のあること、木の枝や茎のかけらの埋もれていること、ところどころにいろいろな沼地に生える植物が、もうよほど炭化してはさまっていること、また山の近くには細かい砂利のあること、殊に北上山地のへりには所々この泥岩層の間に砂丘の痕らしいものがはさまっていることなどでした。そうしてみると、いま北上の平原にな…