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固形の論理
こけいのろんり
作品ID50904
著者丘 浅次郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「近代日本思想大系 9 丘浅次郎集」 筑摩書房
1974(昭和49)年9月20日
初出「教育学術界」1920(大正9)年
入力者矢野重藤
校正者hitsuji
公開 / 更新2021-05-02 / 2021-04-27
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 我らは先年ベルグソン(Henri Bergson)の「創造的進化」(L'[#挿絵]volution cr[#挿絵]atrice)と云ふ書物を読んだ時に一つ気に入つた言葉を見付けた。それは序文の第一頁にある「固形の論理」(la logique des solides)と云ふ言葉である。ベルグソンは之に就いて次の如くに云うて居る。我等人間の論理は固形を基とした論理である故、幾何学に於ては成功するが、生物界に持つて行くと忽ち差支へる。幾何学では、論理を唯一の道具として考へれば、何所までも間違ひでなく、之を応用した器械は必ず理論の通りに動くが、絶えず進化し変じつゝある生物の方に当て嵌めやうとすると直に頓挫する。一とか多とか、原因、結果とか云ふ如き、総べての考への源となるべきことさへ、中々、生物には、うまく適せぬ。即ち生物には個体の境が判然せず、一疋とも数疋とも断言し難いものが幾らも有る。また、生物の身体が多くの細胞から成り立つて居ることは目の前に見えて居ても、細胞が集まつて身体を成したのやら、身体が分れて細胞と成つたのやら、何れが何れか明言は出来ぬ。以上はベルグソンの書いた文句を忠実に翻訳した訳ではないが、大体の意味は先づ斯くの如くである。
 凡そ書物を読んで愉快を感じるのは色々の場合があるが、自分が漠然と脳中に考へながら未だ明な文句に形造らずに居たことが、巧な言葉で面白く云ひ現はされて居るのを読んだときは特に愉快である。書物を読んで楽しむと云ふ中には、書物を通じて自分の考へを楽しむ場合が誰にも多からうと推察する。我らが「固形の論理」と云ふ言葉を見て頗る気に入つたのは、此の種類の愉快を感じたからであつた。流石は常に短かくて適切な言葉を案出するフランス人だけあつて、実に気の利いた名称を考へ当てたものであると感服した。それ故今、進化論より見たる人類の論理の批判を述べるに当つて、此の言葉を借りて題目としたが、借りて来たのは単に題目だけであつて、内容は悉く我ら一人の考へであることは勿論である。



 比較解剖学、比較発生学、動物化石学、動物分布学等の事実に基づいて考へれば、人類は決して初めより今日の通りの人類として、存在して居た訳ではなく、或る時代まで溯れば、猿類と共同の先祖に達することは、最早疑ふことの出来ぬ確な事実である。而して、其の先祖は、又それよりも更に下等な動物より進化し来つたものと考へねばならぬ。斯くの如く人間は下等な動物から次第々々に進化して、終に今日の有様までに達したものとすれば、今日の人間の有する性質や能力は、身体に関するものでも、精神に関するものでも、悉く長い間の発達の歴史を有することは明である。此の方面から考へて見ると、今日の人間が理窟を考へるときに用ひる論理の如きも、脳髄の他の働きと同じく、初め簡単なものから、一定の径路を経て、一歩々々今…

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