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中世の文学伝統
ちゅうせいのぶんがくでんとう
作品ID50931
著者風巻 景次郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中世の文学伝統」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年7月16日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2011-01-01 / 2014-09-21
長さの目安約 235 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

改版の序

 本書が版を改めて世に出る時を持ちえたについては、並み並みでなく感慨を強いられるものがある。
 私は昭和十四年の年末に原稿を書きあげて、翌年一月二十日づけの序をしたためた。そして本書の初版は二月二十日の日附で刊行されている。それは日本的なるものの強調から日本主義にすすみ、林内閣の祭政一致の宣言から国民精神総動員へと急激に傾きつつあった一時期である。その線に沿って思想や研究やの統制は、きおい立つ力で強められていった。学界の一部は幾分自ら進んで自由を狭め、真理の探究を投げ打って、そうした精神統制に挺身追随したように見えたが、中でも国文学界は挙げて時潮に狂奔するもののような疑いさえ蒙った。本書もそうした時期において書かれたものであった。
 私も国文学徒と世から呼ばれるような仕事にかかわってきた一人であったにかかわらず、自分では国文学者と一つなみに呼ばれる中へ加えられるには何かそぐわない点を中に感じつづけてきた人間であるだけに、そうした時期の執筆は殊に気骨の折れる仕事であった。そのために不要の所で言葉使いや言い廻し方に絶えず注意したり、率直に言えるはずの事を言わずにしまったりするような結果になった。それは本書を少しも積極的に良くしなかったばかりか、種々の点で悪くしている。その中でも最も根本的な点は、全体としての構想をかなり曖昧にしてしまっている事である。思想表現の点で十分の自由が保証されている今日にあっては、余りにも中庸を得過ぎているに違いない私の構想も、当時思想統制の前衛としての国文学界においては、それが明晰に語られるならば、異端の烙印を蒙るおそれは決して存しないわけではなかった。私は今日この文章を読み直してみて、今少しの明晰さと厳密さとを表現に与える勇気を持ちあわさなかった弱さを思うと共に、当時私が時代精神の圧力に対して抱きつづけた対抗と緊張と恐怖との肉体的感覚や、暗澹たる無力感や、それにもかかわらず働きつづける批評的意識やを思いおこして、自分自身がいとしまれてならないのである。このように些か感傷の痕をとどめた文体は気になる点が多いのだけれども、敢て気のついた誤植をただすほか、一切文章に手を加えないでもとのままに止めた。読者もまた私のそうした愛惜の情を許されるであろう。
 ただ一箇所意識して正した所がある。第七節後鳥羽院関係の叙述の終近く、初版には「上皇の風雅であり、遊びであらせられる。しかしまたかくの如く困難な時代には、上皇には上皇の抒情があらせられる」とあった所だけは、この版では今見るように改められている。それは最初の原稿にそうあって、すでにその通り刷り上がっていたのに、当時内務省の検閲において問題になり、どうしても許可にならなかったので、やむを得ず紙型に象眼をして、その頁だけ刷り直したのであった。読者はそのいずれであっても殆ど問題にされないであ…

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