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村住居の秋
むらずまいのあき
作品ID51133
著者若山 牧水
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆84 村」 作品社
1989(平成元)年10月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-07-19 / 2016-01-19
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

小さな流

 この沼津の地に移住を企てゝ初めて私がこの家を見に来た時、その時は村の旧家でいま村医などを勤めてゐる或る老人と、その息子さんと、この家の差配をしてゐる年寄の百姓との四人連で、その老医の息子さんが私たちの結んでゐる歌の社中の一人であるところから斯んな借家の世話などを頼むことになつたのであつたが、先づ私の眼のついたのは門の前を流れてゐる小さな流であつた。附近を流るる狩野川から引いた灌漑用の堀らしいものではあるが、それでも水量はかなり豊かで、うす濁りに濁りながら瀬をなして流れてゐた。
『今日は雨の後で濁つてますが、平常はよく澄んでるのですよ。』
 と、早稲田の文科の生徒でその頃暑中休暇で村に帰つてゐたその息子さんは、同じくその流に見入りながら私に言つた。
 いよ/\家族を連れて東京から移つて来て見ると家が古いだけにあちこちと諸所造作を直さねばならぬところがあつた。井戸の喞筒などもその一つであつた。完全に直すとすると十八円ばかり出さねばならなかつた。その時その余裕が私に無く、差配一人でも出し渋つた。そしてほんの当座の修繕をしておく事にして、差配は私と妻とを連れて勝手口から小さな畠の畔を通りながら桜や柳の植ゑ込んである一ならびの木立の下まで来て、
『なアに、これがありますからあちらはほんの飲み水だけで沢山ですよ、何や彼やの洗物はみな此処でなさいまし。』
 と言つた。
 其処には特に目にたつ大きな枝垂柳が一本あつて、その蔭の石段をとろ/\と降りて例の流に臨んだ洗場がこさへてあつた。
 其処は石段が壊れてゐて足場がわるく、向側の道路からあらはに見下されたりするので妻などはよくよくの時でなくては出掛けて行かなつたが、埃つぽい真夏の道を歩いて来た時など下駄のまま其処から流の中に歩み入つてゆくのは心地よかつた。八歳になる長男などは泳ぎも知らぬ癖に私の其処に行くのを見付けては飛んで来て真裸体になりながら一緒になつて飛び込んだ。水の深さは恰度彼の乳あたりに及ぶのが常であつた。後にはその妹も兄や父に手を取られながらその中へ入つてゆくやうになつた。そして其処に泳いでゐる小さな魚の影を見たと云つては大騒ぎをして父子して町に釣道具などを買つて来たりした。
 その年の八月が過ぎ、九月も半ば頃になるといつとなく子供たちは其処に近づかなくなり、水量も幾らか減つて次第に流が澄んで来た。そして思ひがけなくもその柳の蔭の物洗場に一面に曼珠沙華が咲き出した。まつたく思ひがけないことで、附近の田圃の畦などに真赤なその花を一つか二つ見附けてひどく珍しがつた頃まで、まだ気がつかなかつたのであつた。オヤ/\と思ふうちに、咲きも咲いたり、まつたく其処の土堤を埋めて燃えひろがる様に咲いて行つた。
 盛りの短い花で、やがてまた火の消えた様にいつとなくひつそりと草隠れに茎まで朽ちてしまふと、今度は野菊が咲き…

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