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怪物と飯を食ふ話
かいぶつとめしをくうはなし
作品ID51134
著者岡本 一平
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻2 相撲」 作品社
1991(平成3)年4月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2023-06-11 / 2023-06-05
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 死んだ小説家の獨歩は天地に驚き度いと申しました。わたくしのは少し違ひます。時々呆れるやうなものに打つからぬと生命が居眠りをして仕舞ふのです。
 ふと相撲場へ行きました。出羽嶽といふ力士の馬鹿々々しい大きさに少し呆れる事が出来ました。広い世界に同じ心持ちの人があるかも知れぬ。呆れをお福分けする積りで五六日土俵上の怪物の動静を絵でお知らせしました。
 ところがこゝに怪物に紹介合せようといふ人が出ました。訊すと医学士で歌人のS氏の奥さんです。S氏ならばわたくしの浅い知人でした。そして出羽はS氏の両親が養ひ子として愛し育てた関係の力士ださうです。呆れを深める為めわたくしは一議に及ばず承知致しました。
 西の控へ部屋へ行くと怪物は今土俵から上がつたところです。奥さんがわたくしを紹介しても怪物はお辞儀をしません。遥か上の方で難かしい顔をしてるらしいのが仰向くとやつと覗はれます。奥さんが怪物の大きなお腹に向つて言ひました。『文治、お前失礼ではないかい。何とか御挨拶を申上げな』とそこでやつと上の方で水底の破鐘のやうな声がしました。『新聞に絵を描いて呉れねえ方がえゝよ気になつて力が出ねえ』成程彼は此場所負けんがこんで居ました。わたくしは笑ひました。奥さんはばつを[#「奥さんはばつを」は底本では「奥さんはばつを」]悪くしてそれから諄々とお腹に向ひ人気商売の力士は誰人にも愛想よくすべきものゝ由を言ひ聞かせました。奥さんは女として低い方ではありませなんだ。それで居て顔の向き合ふところは丁度怪物のお腹です。お腹に向つて云ひ聞かした言葉がいつ怪物の頭まで伝はるやら覚束ないとわたくしは思ひました。
 怪物を誘つて自動車に乗りました。自動車の中の怪物は丁度弁当箱に沢庵漬を二つに曲げて入れた形でした。そしてわたくしはその隙間のつめです。神田明神前で自動車の電灯が駄目になりました。他の車を雇はせる為め運転手を馳らせた。降車て怪物は闇の中の自動車の周囲を玩具のやうに物珍らしく撫で廻しました。進んで運転手台の機械に指を触れると『あち……』と驚きました。それからにやりと笑つて『こゝ熱いぞ。触つて見ろ』と言ひました。わたくしはそれより怪物が寄りかゝる為め車が傾いでゴムのタイヤがどの位皺面作るかに興味を持ちました。で怪物は一人で繰返し指を小さな熱所へ触れては熱がつて居ます。然し大きな顔には愛物を弄る時のやうな魅せられた微笑が上がつて居ました。ふと一つの考案がわたくしの頭に閃きました。巨人は却つて小といふ事に異常な愛着を持つものではないかと。
 本郷の『豊国』へ着きました。怪物は早速座敷の敷居に足を投げ出し茫漠と庭の青葉に映る電灯を眺め出しました。こゝで二つの微笑すべき事象を見逃してはなりません。弓なりに曲つた障子と尻の下に印紙程に見ゆる座蒲団と。


 食ものや飲ものが来ました。怪物は小楊枝のや…

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