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かたくり
かたくり
作品ID51137
著者水野 葉舟
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆94 草」 作品社
1990(平成2)年8月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2017-02-02 / 2017-01-12
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私が――これは私たちがと言つた方がいいのだ。その時には私たちは三人づれでそこに出かけて行つたのだから――村はづれの谷田の澪に沿つた堤で、初めてカタクリの群落を見つけたのは、ほんの偶然の機会であつた。
 四月にはいつたばかりの或る日。林にも野にも春の力が動き出してゐるはずだのに、見渡した目には冬そのまゝの枯色がまだつづいてゐる。目立たない微かないろいろの感覚にも、肌が感じる日光空気にも、そこらぢうから逞しく湧き立つ力の動きが感じられるのに、林野の相貎は眠つたままで変らない。それが捉へ難い物足りなさもどかしさを心に起させる。――その季節の、すつかり退屈しきつた或る日の事だつた。私は朝から向ひあつて話してゐた若い友達を誘つて、今じぶん一番鋭く春が感じられるだらうと思ふ谷田の方に出かけて行つたのであつた。
 丘の裾から絞れ出てゐる水の小溝があるので、その澪に添つた道には乾き勝ちの台地の上よりも、流れの湿りが早めに草の根を目覚めさせてゐると思はれたので、そこの道にうひうひしい早春の動きを見に行つたのである――午ちよつとすぎた日の光を受けてきらきら光つて流れてゐる水が、はたしてもう暖かい柔かさを見せてゐた。流れの岸や隅の処に根を張つてゐるスゲの枯れた古葉の傍からは、新しい芽の角が逞しく出てゐるしその根株にかくれたり、そこから走つて泳ぎ出したりする小さいタナゴやハヤの子がすつかり活溌になつてゐる。せりの冬をしのいで来た褐色の葉にも、鮮かに緑がさして柔かさうに見えてゐる。
 一緒に歩いてゐた一人が、いつの間にかぐやぐやした田の畔を渡つて、やつの向側に行つてゐたが、ふいと大きな声でこちら側にゐる者たちを呼んだ。
「これは何でせう。」と言つてゐる。何か見馴れないものを見つけたに違ひない。
「何か見つけたのか。」こちらから声をかけると「見た事のない草ですよ。綺麗な花です。」といつてその場所を離れないで立つてゐる。私達も危く壊えこみさうな細い畔を渡つてそこに行くと、足もとの処を指さしして見せられる。
「カタクリだ。」私は喜びの声をあげて言つた。ちやうど昨日あたりから開き始めたらしい若い花が、そこに二つ揃つて首をかしげてゐた。そのまはりには紫の斑様をもつた卵形の大きい一つ葉が十二三枚、そちらこちらに生えてる。
「なるほど、こんな処に生えてゐたのか……カタクリがここの野にはあると聞いてゐたが、なるほど……」私は独りで感じ入つてそれに見入つた。
 それから花だけを摘んで、なほそちら側の小溝に添つて下つて行くと、その堤にはどこまでもつづいてカタクリの一つの葉が開いてゐるし、処どころに紫の美しい花が咲いてゐる。
 その夜、私は景子に手紙を書いた。これを読んだら景子がさぞ喜ぶだらうと思ひながら、今日偶然カタクリの群落を見つけた事を知らせたのだつた。その中にカタクリの小さい百合形の紫の花を端厳…

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