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糞尿譚
ふんにょうたん
作品ID51168
著者火野 葦平
文字遣い新字新仮名
底本 「糞尿譚・河童曼陀羅(抄)」 講談社文芸文庫、講談社
2007(平成19)年6月10日
入力者門田裕志
校正者荒木恵一
公開 / 更新2014-07-29 / 2014-09-16
長さの目安約 105 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 どこかでは既に雨が降っているのか、白く光って見あげるようにむくむくともりあがった入道雲の方向で、かすかな遠雷のとどろきがして居る。斜面を下りながら、彦太郎は、麦藁帽子の縁に手をかけて空を見あげ、一雨来るかも知れんと思い、灼けるように陽炎をあげている周囲を見わたすと、心なしか、さっと、一陣の冷たい風が来て西瓜畑の葉を鳴らした。赭土の中にころがった大小さまざまの西瓜は埃にまみれて禿げたような青い色を晒している。下りながら、両手で輪をつくり、口にあてて、おうい、と叫ぶと、小さく下に見える池の中央に入って、真裸で両手を水中につっこんでいた男が、顔をあげた。彦太郎だと知ると、下の方で背を伸ばし、伸びをして腰を叩き、こちらに笑いかけたのが遠目にもわかった。土埃をたてて斜面を駈け下ると、惰力で危うく池の中に飛びこみそうになったが、岸にある無花果の樹にようやくつかまった。顔見合わせ大声立てて笑った。卯平さん、あんた、なにしとるか、と彦太郎はもう草の上に坐りこんで腰から鉈豆煙管を取り出し、雁首にきざみをつめながら訊いた。びしょ濡れになった上に額から汗が流れおちて眼に入るのを、卯平は泥だらけの手で拭くわけに行かず、腕でずるとなでて、食用蛙を捕まえてやろうと思っているのだが、なかなか見つからんので、仕方がないから池を干そうと思って泥吐口を抜きよったところだと云った。食用蛙が居るのか、と彦太郎はびっくりした顔で訊き返した。どうも四五日前から妙な声で鳴く奴がある。確かに食用蛙に違いないと思って探し廻ったがさっぱりわからんのだ、池の底に隠れているに違いないと思って掻き廻してみても出て来ん、がまの穂を餌にして釣りかかってみたが食いつかん、夜中になると嫌な声を出して鳴きやがる、があおん、があおん、というような赤子のような声で、女房はあんな工合だし、癇にさわってさっぱり寝つかれん、仕方がないから、こんな小さな池だし、干してやれと思って、先刻泥吐口を抜こうと思って池の中に入ったんだが、口が赭土を咬えこんでいるのか、なかなか栓が動かんので骨折ったところだ、どうしても捕まえにゃ腹が癒えん、と話しながら、卯平はまた両手を赤く濁った水の中につっこみ、息を吸いこんで顔をしかめたと見る間に、水煙をあげて池の中に沈んでしまった。しばらくぶくぶく泡が立っているのを彦太郎はじっと見つめながら、卯平がなかなか上って来ないので少し不安になりはじめたが、すると、今まで騒いでいた水面が、波紋をおさめじっと動かなくなった。彦太郎は急に胸がどきどきしだし、何かに引っかかって上れなくなったと思い、入って助ける気になってシャツを脱いだ。股引のバンドに手をかけた時、突然池の中でがぼうという大きな音がし、ごうという音といっしょに吸いつけられる勢で水が布を裂くように鳴る音が聞え、水面が渦巻きだしたまん中にぽかりと卯平の顔が出た。ぶ…

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