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雪をんな
ゆきおんな
作品ID51191
著者葛西 善蔵
文字遣い旧字旧仮名
底本 「葛西善藏全集 第一卷」 津輕書房
1974(昭和49)年12月20日
初出「處女文壇 第一卷三號」1917(大正6)年7月1日
入力者林田清明
校正者フクポー
公開 / 更新2019-01-16 / 2018-12-24
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



『では誰か、雪をんなをほんとに見た者はあるか?』
 いゝや、誰もない。しかし、
『私とこの父さんは、山からの歸りに、橋向うの松原でたしかに見た。』
『そんなら私とこの祖父さんなんか、幾度も/\見てる。』
『いや私とこのお祖母さんは、この間の晩どこそこのお産へ行つた歸り、どこんとこの屋敷の前で、雪をんなが斯う……赤んぼを抱いて、細い聲して云つてたのを確かに聽いた。これつぱかしも嘘ではない。』
 斯う私達少年等は、確信を以て言ひ合ふ。
 雪をんなは大吹雪の夜に、天から降るのである。この世ならぬ美しさの、眞白な姿の雪をんなが、乳呑兒を抱いて、しよんぼりと吹雪の中に立つて居る。そして、
『どうぞお願ひで御座います。一寸の間この兒を抱いて遣つて下さい。』
 斯う云ふのである。しかし、抱いて遣つてはいけない。抱いて遣ると、その人の生命は、その場で絶えて了ふ。――

 私は十九の年に一度結婚した。妻は十六になつたばかしの少女であつた。が一體は私達の故郷は早婚のところなので、十九と十六の夫婦も別にをかしい程のことはなかつたのである。
 婚禮は二月の初め、ひどい大吹雪の日であつた。それに二三日も吹雪が續いて往來が途絶え、日取りが狂つて、やう/\その大吹雪の日に輿入れが出來たのであつた。
 私達は見合ひは濟ましてゐたのだが、私も恐らく彼女も、その晩に初めて見合つたやうなものであつた。
 私は彼女を美しいと思つた。彼女はまた如何にも弱々しさうで、いたいけであつた。私は眞實から愛した。その心持には今日でも變りがない。

 彼女は實際に弱かつた。ほつそりした撫肩の、生際の美しい、透き通るばかり白い顏してゐた。私はその晩にも、おゝ美しい、だがこの女は肺でも病みはしないだらうかと云ふやうな氣がされて、氣遣ひだつた。私は雪をんなの美しさを想つた。そしてまた彼女は素直で、靜かで、優しかつた。
 私達は樂しい日を送つた。晝が樂しく夜が樂しかつた。さうして春を迎へた。夏を迎へた。
 私は彼女の名を呼んだことがない。何時も『お嫁さん』と云つてゐた。そして終に彼女の名――民子と云つた――を呼ぶやうな時が來ずに、その夏で永久に私等のライフは終つたのであつた。
 どうして?――私は出奔したのである。その年の丁度七月目の八月半ばに、彼女をすて家をすてゝ、逐電に及んだのである。
『あなたの爲めに生きるのです。』
 彼女はいつも斯う云つた。何故だらう? 何故にそんなことを云ふのだらう?……
 その時丁度妻は四ヶ月の身重であつたのだ。私達は屋敷續きの、廣い、林檎、葡萄の園の中に、家族達と別に棲んでゐた。私は爲すこともなく暮してゐるのであつた。彼女も主家と離家との往復のほかには、家事向きの用事らしい用事もなく、いつも二人はいつしよに居られた。私は退屈の時には本を讀んだ。
『あなたの爲めに生きるのです。』
 …

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