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雪をんな(二)
ゆきおんな(に) |
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作品ID | 51192 |
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著者 | 葛西 善蔵 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「葛西善藏全集 第二卷」 津輕書房 1975(昭和50)年3月20日 「新潮 第四十二卷第六號」 新潮社 1925(大正14)年6月1日 |
初出 | 「新潮 第四十二卷第六號」1925(大正14)年6月1日 |
入力者 | 林田清明 |
校正者 | フクポー |
公開 / 更新 | 2019-01-16 / 2018-12-24 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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――
その時からまた、又の七年目が[#挿絵]り來ようとしてゐる。私には最早、歸るべき家も妻も子もないのである。さうして私は尚この上に永久に、この寒い雪の多い北國の島國を、當もなく涯から涯へと彷徨ひ歩かねばならぬのであつた。……
――
その最初の結婚とは二十年經つてゐる。前に引いた文章にもあるやうに、この前の「雪をんな」は十九で結婚しての七年目だから二十七の歳だつたらしい。その時分から私の生活が始まつたと云ふものであらうか。
それからの足掛三年間、妻子を捨てての、寒い雪の多い島國の、放浪と云ふことを想像してもらひたい。
私は前の「雪をんな」にも云つてゐるやうにどれほど妻や子の許に歸りたかつたでせう。私はまだしも「雪をんな」の重い子を抱いて吹雪の中に凍え死ぬことを希つたが、それすら許されなかつたのである。宿命のなき赤き鳥よ! 私の爲に歌つてほしい、祈つてほしい――さう思つたことは幾度びでせう。――義人の果は生命の樹なり――私は二十年來この信仰だけは捨てずに、この寒い北の島國を彷徨し[#挿絵]つたのである。
そんなら私は、義人ではないのか?
だが、二十年經つてしまつた。
私には、最早歸るべき妻も子もないのである。
雪國のことで、私は幾度かさうした凍死にの經驗を聞いて、雪をんな的な感じにうたれたことがある。私の行つてゐた島國では度び度びさうした凍死者を見た。その中には私の尊敬してゐる老僧光淨さんの死にすら接した。醉ふと必ず『莫迦! 莫迦』さう怒號し歩いた光淨さんも、やはり「雪をんな」の爲に殪れたのである。
私は前の「雪をんな」の場合は、空知川の上流ぱん溪川より溯つた百個村それから深山五六里を雪の山路をは入つたやうなところを、背景にしたやうなつもりだつたのだが、あんなお伽噺みたいなものだつたから讀む方ではさうはゆきませんでしたね。歌志内から雪の山越えをして、また吹雪の中を歌志内まで歸つてきた。毛布も外套も、東京の鹽鮭のやうに凍えてしまひ、積つた雪が股を越えた場合のことをもう一度想像して呉れ給へ。私は未だ妻を捨てての十九歳の少年と云つていい年だつた。「雪をんな」が出て來ないと云ふのは不思議ぢやないか、私の幻覺としても、さういふものがあつたらうと思ふ。私は其前に、少年時代に一二度生命の危險におかされたことはあるけれども、その夜の「雪をんな」の驚異ほどに會つたことがない。
それからの二十年だ。私は彼女のことを決して思うとは思はないその時分の一人の子が確にある筈である。彼女はどんな風にして育てゝゐて呉れるのか私は知らない。當年十九歳の青年が今や三十九歳になつた。色々なうつりかわりが其處にある。何と云ふ女であらうと、私は時々思ひ出す。潮の流れ、渡り鳥、夏春冬に關けても思ひ出さない譯にゆかない。彼女のみ知る林檎の花の色、香、さう云つたなかに我等は尚ほ…