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澪標
みおつくし
作品ID51277
著者外村 繁
文字遣い新字新仮名
底本 「澪標・落日の光景」 講談社文芸文庫、講談社
1992(平成4年)6月10日
初出「群像」1960(昭和35)年7月
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-11-14 / 2014-09-16
長さの目安約 160 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私が生れたところは滋賀県の五個荘である。当時は南、北五個荘村に分れていたが、今は旭村と共に合併して、五個荘町となっている。
 村の西南部には小山脈が連っている。繖山脈と呼ばれている。その一峰に、往昔、近江守護、六角、佐佐木氏の居城のあった観音寺山がある。その山頂にある観音寺は西国第三十三番の札所である。西方の一峰は明神山と呼ばれ、その中腹に古刹、石馬禅寺がある。観音寺山と明神山との狭間の峠を、俗に「地獄越」と呼んでいる。観音寺山城が織田氏の軍に攻略された際、城中の婦女子の逃げ落ちた、阿鼻叫喚のさまを伝えているという。
 北東部には遥かに田園の風景が開け、北方には伊吹山、東方へかけて、霊仙山、鈴ヶ岳、竜ヶ岳、釈迦ヶ岳、御在所山等、滋賀、三重両県境の山山が望まれる。
 旧北五個荘村の北東部を愛知川が流れている。源を県境の山山に発し、琵琶湖に注いでいる。その上流は風光明媚な渓谷であるが、中流から次第に流れは細り、下流では平時は水はなく、石と砂との河原になっている。また、繖山脈の谷水を集めて、小川が村の中を縦横に流れている。川水は量も少くなく、川底の小石が見える程度に澄んでいる。川添の家は門前に多くは花崗岩の橋を掛けている。
 周囲はどこでも見られる平凡な農村の風景であるが、いわゆる近江商人の主な出身地で、村の中には白壁の塀を廻した大きな邸宅も少くない。木立の間から、白壁の格別美しい土蔵も見られる。これらの家の主人は、殆どが大都会に出て、商業に従事してい、妻が子供達と共に留守を守っている。
 新村宗左衛門家は代代百姓であったが、新村家の家乗には、元禄十三年、初めて布を商った記録が残っている。同じく十五年には麻苧を仕入れている。正徳三年には名古屋へ行商に行き、享保十一年には江戸に入っている。同年、文庫蔵を建築、元文二年には本宅を改築、更に延享三年には隠居所を新築している。宝暦三年、名古屋では定宿を取り、その商売形式は完全な問屋卸しとなっている。天明六年、霖雨。米、麦、綿等暴騰し、施米している。寛政九年には弟、孝兵衛に新宅を持たせた。
 新村孝兵衛家は、寛政九年、宗左衛門家から分家したが、共同で商売をしている。文化十年、独立し、京呉服、木綿の卸商を始めている。文政十一年には上州桐生市に糸質店を構え、天保十二年には江戸堀留町に開店している。同十三年、苗字帯刀を許され、文久二年には彦根藩(五個荘は郡山藩である)へ金千両を調達している。安政三年、江戸店が新大坂町へ移転している。慶応二年には京都店を開き、明治六年には横浜に貿易店を開いている。
 私の母は、明治十一年、三代目孝兵衛の長女として生れた。兄弟は五人、母は一人娘である。従って、母は母の父や、祖父の寵愛を受けて育ったという。十八(数え年)の時、母は私の父を婿養子に迎えて、分家した。
 私の父は、明治元年、滋賀県の長浜の…

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