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落日の光景
らくじつのこうけい |
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作品ID | 51279 |
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著者 | 外村 繁 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「澪標・落日の光景」 講談社文芸文庫、講談社 1992(平成4年)6月10日 |
初出 | 「新潮」1960(昭和35)年8月 |
入力者 | kompass |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2013-11-17 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 35 ページ(500字/頁で計算) |
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一
私の妻は乳癌に罹り、築地の癌研附属病院で左胸部の切除手術を受けた。更にコバルトを照射するため、大塚の同病院の放射線科に移ることになった。私達の自動車が大塚の病院の構内に沿って左折した時、道路に面したその石垣の上に、いずれも夥しい花をつけた沈丁花が植込まれているのが、私の目に入った。一瞬、私は噎せ返るような、沈丁花の芳香を幻覚する。
妻の病室は三階の三十八号室である。妻は手術後の経過は良好で、疼痛もなく、至って元気である。勿論、自分で自分に虚勢を張っている点もあろう。築地の時と同じく、妻は荷物を整理したり、事務室や、看護婦室に挨拶に行ったりして、少しもじっとしていない。が、看護婦が入って来たので、妻は漸くベッドの上に上る。看護婦は妻の脈を取り、体温計を渡して、立ち去る。
「やはり奥さまでしたのね。どちらさまかと思っていました」
隣りのベッドの婦人が言う。五十ばかりの上品な婦人である。
「病人にならせるのが、一苦労なんです」と、私が苦笑する。
「奥さまのは、どこですの」
「乳ですの」と妻が言う。
「そうですか。私も十二年前なんですけど、やはり乳癌を患いましたの。片っぽありませんの。今度は、肋膜に水が溜るんです」
十二年、急にその年数が私の頭に貼りついてしまった感じである。私は妻の年齢に十二を足してみる。自分の年齢にも足してみる。しかし妻の場合は、病気の発見が遅れ、腋下にも転移している。更に築地で全部剔出したわけでもない。私が十二年などという年数について考えることは、ひどく甘い考え方であるといわなければなるまい。しかしまた逆に言えば、十二年の年数を経ていても、やはり再発というべきなのであろうか。つまり十二年経っても、再発の恐れはあるのか。
一昨昨年、私はある病院に入院し、放射線の深部治療を受けた。病名は「上顎腫瘍」である。妻の病名が「乳腺腫瘍」であるところからすれば、上顎の癌というべきかも知れない。毎週一度、私は今も病院へ通っている。しかし私は少しも不安を感じていない。私が退院して、まだ満二年半を経ているに過ぎない。再発の危険のあることは十分に知っている。が、私の本心はといえば、俗にいう、けろりとしたものである。他愛のないものだ、とも一応思ってみるだけである。しかしこの婦人はいつも軽い咳をしている。頻りに紙で痰を拭っている。
やや肥満した、温厚そうな容姿の医師が、看護婦を従えて、入って来る。
「私が奥さまを担当します」
妻は寝台の上に坐り、着物を脱ぐ。勿論、左の乳房は切除されて直るので、妻の左胸部は扁平である。しかし切断された乳房の上皮の三分の一ほどを剥ぎ取り、それが縫い合わされているので、さして異常感はない。腋下の傷口の肉が少し盛り上っているに過ぎない。
むしろ異様といえば、右の乳房の方であろう。私の妻は後妻で、実子はない。従って、子女を哺…