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荷風翁の発句
かふうおうのほっく
著者伊庭 心猿
文字遣い旧字旧仮名
底本 「繪入墨東今昔 心猿第二隨筆集」 葛飾俳話會
1957(昭和32)年2月4日
初出「俳句 第二卷第七號」角川書店、1953(昭和28)年7月1日
入力者H.YAM
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2020-04-30 / 2020-04-01
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

遠みちも夜寒になりぬ川向う

「川向う」は隅田川東岸である。即ち、寺島町玉の井の遊里を指す。さうすると、この作は對岸淺草側からの吟でなければならぬ。但し「遠みち」が直ちにその淺草からの道のりを意味するものと解せば、句の趣は甚だ削減される。第一、つい川一跨ぎの墨東の散歩を遠路とするのは、少しばかり表現の的確を缺く。そこで、この句を理解するためには、どうしても初五に關する若干の註が必要となつてくる。さもないと、後世とんだ駄句の一つに數へられる虞があるからである。
 翁の玉の井見物は、昭和十一年の春にはじまる。同年五月十六日の日記に曰く。
 初て玉の井の路地を歩みたりしは昭和七年の正月堀切四ツ木の放水路提防を歩みし歸り道なり。其時には道不案内にてどの邊が一部やら二部やら方角更にわからざりしが先月來屡散歩し忘備のため略圖をつくり置きたり。路地内の小家は内に入りて見れば……。
 同じく日記によれば、この年四月に翁は寺じまの記を作り、十月に[#挿絵]東綺譚を脱稿し、十一月に萬茶亭の夕(作後贅言)を書いてゐる。この間、五十九歳の翁としては實に足まめに、墨東の實地踏査を行つてゐる。
 五月二十日。燈刻尾張町に※[#「飲のへん+卜」、U+29685、24-15]し、電車にて淺草を過ぎ玉の井に往く。
 六月十八日。夜向島散歩。歸途キユペルを過ぐ。
 七月二十日。電車にて淺草に至り、それより圓タクを倩ひ玉の井を見歩き銀座に出づ。
 九月三十日。電車にて雷門に至り水邊を歩む中に雲去りて良夜となる。白髯橋をわたり玉の井に少憇し十二時歸宅。
 十一月初二。午後[#挿絵]東綺譚執筆。晩餐の後京橋明治屋にて牛酪を購ひ玉の井に至り第一部の或家を訪ふ。
 十二月初七。境川停留場より五ノ橋通にて電車を降り三ノ輪行バスに乘りかへ寺島町二丁目に至り、それより曳舟通の岸を歩む。……迂曲したる小徑を歩み行く中玉の井四部の裏に出でたり。
 十二月卅一日。仲店広小路到處雜沓せり。東武電車にて玉の井に往きいつもの家に一茶す。
 このやうに「遠みち」の三字の中には、麻布から銀座、さらに江東、葛西、淺草、寺島と、作者のたゆみない行迹見聞のあとが、無限の感懷となつてひそんでゐるのである。
 この一句、調べ姿ともに申分がない。それだけにまた、詩だか油繪だか祭文だかわからぬ現代俳句の横行する世に、あまり喝采は起らぬであらう。翁の作を敢て發句と稱する所以もこゝにある。
 夜寒の季は、綺譚完結直後の作を裏書きする。この句に限らず、以下の諸作すべてこれ名作を刻んだ鑿のすさび、或ひはそのエスキース斷片と見なしてよいであらう。

名も知れぬ小草の花やつゆのたま

 京成電車玉の井驛跡の寫眞に添へられたもの。前の夜寒の句に、俳諧一卷の首位を占むべき氣品と重みを見出すなら、これはまさしく脇の附合である。
 昭和十年の頃、その小高いプ…

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