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九月朔日
くがつさくじつ
著者伊庭 心猿
文字遣い旧字旧仮名
底本 「繪入墨東今昔 心猿第二隨筆集」 葛飾俳話会
1957(昭和32)年2月4日
初出前半の(三一・九)「春燈 第十一巻第九号」春燈社、1956(昭和31)年9月1日
入力者H.YAM
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2019-09-01 / 2019-08-30
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 市電は、三筋町で二三人おろすと、相變らず單調な音をきしらせ、東に向つてのろのろと進んだ。なまぬるい風、灼けつくやうな舗道のてりかえし。――その時である。まだ停留所までだいぶあるのに、車體が左右に大きく横搖れして、急に停つた。
 乘客は、いつせいに窓の外をみた、いちめんの土煙だ。兩側の家が、屋根瓦をとばし、壁をくづし、柱をねぢまげ、前につんのめつた。黒塗の土藏が、一ト搖れしたかと思ふとみるまに赭土色の殘骸となつた。ほんの一刹那の異變だつた。
 と、隣にかけてゐた老婆が、急に大きな聲でお題目を唱へだした。それが、三人、五人と車内の人々に感染して、つひに南無妙法蓮華經の大コーラスになつた。みんな眞劍な顏だ。――これも、まつたく一瞬の出來事だつた。
 その九月一日の午まへのひとゝきが、まためぐつて來る、三十三年囘目の。あのとき小倉の袴に朴齒の畫學生はいま、去年も今年も、三圍祠畔の句碑の苔を掃ふことのできない身を嘆いてゐる。病床で迎へる二度目の秋である。
 どこをどう歩いたのか覺えてゐない。とにかく、橋場のわが家にたどりついた時には、もう千束町と、泪橋との兩方から、火の手が迫つてゐた。福壽院の卵塔場、小松宮別邸、眞崎稻荷と逃げまはつて[#「逃げまはつて」は底本では「逃はげまつて」]、十時頃に白髯をわたつた。
 川下の言問の夜景のすさまじさ。その、水に映える紅蓮の焔を眺めながら、ひたすら案じられたのは、足のわるい師のことだつた。けれども近くには、新松葉の姉さん、そこから藝者にでてゐる妹の靜ちやん、幼友達や俳友もたくさんゐる。きつと誰かにおぶさつて玉ノ井の方へでも逃げただらう。さう思つてゐたのに、その頃すでに木歩は、むごたらしい屍となつてゐたのだ。
「大正十二年九月一日、向島枕橋八百松畔の堤上に死す。震外木歩居士。俗名富田一。享年二十七。三圍に碑あり」
 私の歳時記の震災忌のところには、木歩忌の三字と共に、かう書込んである。
(三一・九)

        □
 一年ぶりで三圍神社へ行つてみたら、木歩の冬木風の碑が位置をかへてゐた。
 以前は七福神の祠のそばにあつたのが、いつのまにか社務所の横、なにがしといふ一中節の師匠の、とてつもなく大きい古琴塚のうしろに移され、それがいかにも片隅の幸福を愉んでゐるやうな樣子なのに、私は思はず微笑した。句碑ばやりの昨今、誰の眼にもすぐとまるやうな目拔の所でなかつたのが、何よりも仕合せである。偶然とはいひながら、故人の人柄が偲ばれてゆかしい。
 去年は關東大震災から三十年といふので、いろいろの行事が企てられた。世が世なら木歩の年忌も盛大に行はれ、彼を敬愛する人々が集り、追善句會の一つもあつた筈である。けれど、富田一族は震災と戰災の二度の劫火で全滅した。木歩は俳人としてすぐれた作品を遺したが、顯彰すべき何らの結社をもたなかつた。友人も休俳…

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