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ねむい
ねむい
作品ID51365
原題СПАТЬ ХОЧЕТСЯ
著者チェーホフ アントン
翻訳者神西 清
文字遣い新字新仮名
底本 「カシタンカ・ねむい 他七篇」 岩波文庫、岩波書店
2008(平成20)年5月16日
入力者米田
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-07-23 / 2014-09-21
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 夜ふけ。十三になる子守り娘のワーリカが、赤んぼの臥ている揺りかごを揺すぶりながら、やっと聞こえるほどの声で、つぶやいている。――

ねんねんよう おころりよ、
唄をうたってあげましょう。……

 聖像の前に、みどり色の燈明がともっている。部屋の隅から隅へかけて、細引が一本わたしてあって、それにお襁褓や、大きな黒ズボンが吊るしてある。燈明から、みどり色の大きな光の輪が天井に射し、お襁褓やズボンは、ほそ長い影を、煖炉や、揺りかごや、ワーリカに投げかけている。……燈明がまたたきはじめると、光の輪や影は活気づいて、風に吹かれているように動きだす。むんむんする。キャベツ汁と、商売どうぐの靴革のにおい。
 赤んぼは泣いている。さっきから泣きつづけで、もうとうに声がかれ、精根つきているのだけれど、あい変らず泣いていて、いつやまるのかわからない。ワーリカは、ねむくてたまらない。眼がくっつきそうだし、頭は下へ下へと引っぱられて、首根っこがずきずきする。まぶたひとつ、唇ひとつ、うごかすこともできず、まるで顔がかさかさに乾あがって木になって、頭は留針のあたまみたいに、縮まったような気がする。
「ねんねんよう、おころりよ」と、彼女はつぶやく、「お粥をこさえてあげましょう。……」
 煖炉のなかで、コオロギが鳴く。となりの部屋では、ドアごしに、主人と従弟のアファナーシイのいびきが、間をおいてきこえる。……揺りかごは悲しげにきしり、当のワーリカはぶつぶつつぶやく――それがみんな一つに溶けあって、夜ふけの寝んねこ唄を奏でているのを、寝床に手足をのばして聞いたら、さぞ楽しいことだろう。ところが今は、せっかくのその音楽も、いらだたしく、くるしいだけだ。というのは、うとうと眠気をさそうくせに、眠ったら百年目だからだ。まんいちワーリカが寝こんだら最後、旦那やおかみさんに、ぶたれるだろう。
 燈明がまたたく。みどり色の光の輪と影が、また動きだして、ワーリカの半びらきの、じっとすわった眼へ這いこむと、はんぶん寝入った脳みそのなかで、もやもやした幻に組みあがる。見ると、くろ雲が、空で追っかけっこをしながら、赤んぼみたいに泣いている。そこへ、さっと風が吹いて、雲が消えると、ワーリカには、いちめんぬかるみの、ひろい街道が見えだす。街道には、荷馬車の列がつづき、背負い袋をしょった人たちがよたよた歩いて、何やら物影が行ったり来たりしている。両側には、冷たい、すごい霧をとおして、森が見える。と急に、背負い袋と影をしょった人たちが、ぬかるみの地べたへ、ばたばた倒れる。――『どうしたの?』と、ワーリカがきく。――『寝るんだ、寝るんだ!』と、みんなが答える。そしてみんな、ぐっすり寝入る。すやすや眠る。ところが電信の針金に、鴉やカササギがとまっていて、赤んぼみたいに啼き立てては、みんなを起こそうと精を出す。
「ねんねん…

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