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教育談
きょういくだん |
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作品ID | 51406 |
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著者 | 箕作 秋坪 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「明六雑誌(上)〔全3冊〕」 岩波文庫、岩波書店 1999(平成11)年5月17日 |
初出 | 「明六雜誌 第八號」明六社、1874(明治7)年5月31日 |
入力者 | 田中哲郎 |
校正者 | hitsuji |
公開 / 更新 | 2020-12-08 / 2021-08-29 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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人の幼穉なるとき、意を加えてこれを保護せざれば、必ず病み、必ず死す。また心を用いてこれを教育せざれば、長ずるに及て必ず頑、必ず愚にして、蛮夷の間といえども共に立べからざるに至る。これもっとも知り易きの理なり。しかしてそれ、これを保護するがごときは、天然の至情ありて、知愚貧富の別なく、みな意を加えざるなきも、それ、これを教育するの一事に至ては、これを度外に置き顧みざる者また少からず。実に怪むべく、嘆ずべきにあらずや。
それ小児の生れて二、三歳より六、七歳に至るまで、その質たる純然無雑、白玉の瑕なきがごとく、その脳中清潔にして、いささかの汚点なし。ゆえにその耳目の触るるところのもの、善となく悪となく、深く脳に印象して、終身消滅することなし。これもってその性情を薫陶し、品行を養成する、このときをもって最上の期とす。その教導の方、宜きを得れば善かつ知、その方を誤れば頑かつ愚となるなり。この感覚鋭敏のときにあたり染習せし者は、長ずるに及んでこれを改んと欲するも得べからざる、なお樹木の稚嫩なるとき、これを撓屈すれば、長ずるに及でついにこれを直くすべからざるがごとし。終身、善悪智愚の岐るるところここにあり。あに意を留めざるべけんや。
それ欧、米諸国のごとき、人民を教育する諸般の学校を設け、諸般の方法を立る、もとより周密備わらざるなし。しかして近来、文化ますます進むにしたがい、自家において子女を教育する、はるかに学校に勝れりとの説ますます盛なり。その説に曰く、一家はなお一国のごとし、その子女を教育する、天道人理においてもとより父母の任たる明なり。父母たるものは、その児の幼穉にして感得の力もっとも盛なるときにあたり、これを訓ゆる、造次も必ずここにおいてし、顛沛も必ずここにおいてするを得。かつその教えんと欲するところを教え、その伝んと欲するところを伝え、父厳母慈ならび行れ、外人のこれを擾乱し、これを誘惑するの害なし。家を離るるときはその教則、風習佳なるの地といえども、擾乱誘惑の害なき能わず。かつ良師良友といえども、その情その父母の訓育とは自ら径庭あり。ゆえに小児を教育する、自家をもって最良の学校とし、父母をもって第一の師となすべし、と。
しかれどもこれ中人以上、家道やや豊富なる者につきてその理を述るなり。なんとなれば文明の国といえども、父母たるもの、家において十分によくその子女を訓育する者稀なり。いわんや文明ならざる国においてをや。たまたまこれあるも、自家の事業に逐れ、職務のために妨げらる。ゆえにその児の訓育を他人に托する、もとよりやむを得ざるに出づ。しかるに方今世間の情勢を察するに、父母たる者その児を他人に委托するをもって当然のこととなし、小児を教育するはその親たる者の本分たることを知らざるものに似たり。ゆえにその家にあるや、さらに父母のこれを訓育するなく、富家にあり…